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神隠しと幻(3)




 啓がツェツィーリヤの名前を出すと店主のオジサンは驚いたように目を丸くした。
 「久しぶりにその名前を聞いたよ。」
 はたきで棚上の埃を払っている。啓は頭を下げた。
 「探してるんです。何でも良いので教えてください。」
 「うーん…。」
 「髪型とか顔の特長とか、持ってた棒の模様とか、何でも良いんです。」
 店長は啓に座るよう勧める。綺麗な敷布の上に座った。
 「髪の毛は短くて…こう毛先のほうが外に跳ねてたよ。それから珍しい帽子をかぶってたな。」
 「帽子?」
 啓が問い返すと店主は頷いて傍にあった紙に絵を書き始めた。中々上手だ。
 「細かい顔のパーツまではもう覚えてないんだが、左頬に黒い太い二重線があったなぁ。こんな感じで。」
 「その紙貰っても良いですか?」
 「もちろんだよ、持って帰りな。」
 紙を受け取って鞄に入れる。
 「そうだ、なんか服装が黒かったよ。」
 「へ?」
 「いやぁさ、黒って暑いだろう?」
 「そうですね。」
 こんな暑い場所で着る服の色ではないと思う。
 「それがさ、生地はあなたが着てるみたいな薄いものなんだが、色が黒でね。少し驚いたから覚えているよ。」
 まぁ、もう着替えてるだろうけどね。と言ってオジサンは苦笑した。
 「モニカに聞かなかったかい?あの子は一ヶ月前に…」
 啓は頷く。
 自分が気鬱になっている今の状況は元を辿ればソレが原因だと思う。
 「神隠し、でしょう?」
 「なんだ、知っているのか。それでもあの子を探しているのかい?」
 「どうしても見つけないといけないんです。」
 オジサンは少し考え込んでから言った。
 「だったらあの子の荷物をアンタに預けても良いかい?」
 「え、荷物ですか…?」
 オジサンは困り果てたような顔をして奥の部屋に入ると、しばらくして片手にリュックを持って出てきた。それを啓の傍に置く。
 「しばらくは部屋を空けたまま残しておいたんだが、こう長いとね。私も商売だから。」
 「…はぁ。」
 啓はリュックの中を覗いた。水筒が入っている。
 「食料とかは腐っちまうから頂いたよ。」
 「そうですか…。」
 ―――財布が無い。
 啓は顔を上げてオジサンを見つめる。
 「…まぁ、タダで荷物を置いとくわけにはイカンのでね…。」
 「ナルホド。」
 全部あなたの懐の中か。
 「わかりました。この荷物は私が預かっておきます。たくさんの情報ありがとうございました。最後にツェツィーリャが泊まっていた部屋を見せてもらっても良いですか?」
  オジサンは首を振った。
 「…そうですか。だったら良いです。ありがとうござました。私はこれで失礼します。」
 啓は会釈して外に出た。

 商売だから仕方ない。それはわかる。
 荷物を預かっておくからにはそれ相応のお金を頂く、その考えは理解できる。
 いつまでも預かるわけにはいかないから、タイミング良く現れた私に預けようとするのも、普通だろう。
 食べ物だって腐るよりは食べた方が良い。当たり前だ。
 部屋だっていつまでも空いたままにしておくわけにはいかない。納得だ。
 捜索だっていつかは打ち切られる。それも、仕方が無いことだ。
 「だけど、不快。…そんなことしたら、ツェツィーリヤはどこに帰ってくれば良いのよ。相手は10歳なのに、ちょっと冷たいんじゃないの。それにお金をツェツィーリヤの了解無しに取るってのは泥棒じゃないのかな。」
 もし、彼女が帰ってきたとき、部屋は無い、お金は無い、荷物も無い、ではどうしようもない。
 「…と思うけど、あのオジサンだって生きていくためには稼がなきゃダメだし、仕方ないのかもね。ツェツィーリヤが帰ってきたら、きっとそのときは助けてくれる。そう信じよう。」

 そんなことを考えていたからだろうか。
 いつもの啓だったら自分がじっと見られていることに、気付いただろうに。

 「ふぅん。…面白そうな子だ。」
 啓が出てきた建物の屋根に腰掛けてプラプラと足を揺らす人物。
 フードのせいで顔はよく見えない。見えるのは口元の笑みだけ。
 「今さらツェツィーリヤ、ね。」
 勢い良く屋根から飛び降りてふわりと着地した。巻き起こった風で砂埃が舞い、彼のフードが外れる。
 灰色、というよりは銀に近い髪色。濃紺の瞳が楽しげに細められ、口元は弧を描く。
 「ちょっと、調べてみようかな。」
 彼はそう呟くと啓が先ほど出てきたばかりの建物に入っていった。

 □□□

 “ もう、嫌だ。 ”

 啓はぱちりと目を開いた。
 ―――なに、また空耳?
 自分はもしかすると頭がおかしくなりかけているのではないか、と啓が思ったとき再び声がした。

 “ 怖い。早く、ここから出て行きたい。 ”

 「だ、れ?」
 返事は聞こえない。すすり泣きらしきものだけ聞こえる。
 そもそも、ここはどこ?
 啓は辺りを見渡すが、暗くて何も見えない。
 「さすがに、ちょっと怖いわよ。誰なの、返事して。」
 周りは全くの暗闇。夜だから、で結論付けるには暗すぎる。月の光も無い。

 “ 今日もあの人、来るのかな。来なければ良いのに。 ”

 「あの人…?誰のこと?」

 “ どうせまた、あの白い部屋で特訓をやらされるんだ。誰か、助けてよ。 ”

 なんだか良くわからないが、助けを求めている。声から言って女の子だ。
 「誰なのよ…さっきから私、質問ばっかりしてるのに一つも答えが返ってきてないんだけど。」
 啓の非難もするりと無視された。
 ―――もしかして、聞こえてない?
 さすがに不自然だ。
 「考えてみれば、今の私の状況自体がおかしいじゃない。」
 ツェツィーリヤの宿の店主を訪ねた後、一日中歩き回って情報を集めようとした。
 服のお陰で過ごしやすくなったとは言えど、暑いことに変わりはない。かんかんに照り付ける太陽の下で動き回ったものだから疲労困憊で、帰って食事をとってすぐに寝た、はずだ。
 ―――それが、どうしてこんなことになるのよ。
 「おかしい。私は自分の部屋で寝たはずなのに。それに…」
 これが夢ならば、メシャルが居るはずだ。彼らのことを考えて啓は軽く溜め息を吐いた。
 今朝彼らに対して憤ったばかりなのだ。
 「…あれは、私が一方的に怒っただけなんだけど。」
 メシャルにだって何か事情があったのかもしれない。コミュニケーションがうまく取れない今の状況で自分の想像だけに基づいて腹を立てるのはズレている。それは、わかっている。
 「だけど、」
 不安なんだ。
 新しい世界でひとりぼっちで、不安で不安で、どうしようもなくて、夢の中では会えるんだなって嬉しく思った矢先だったから余計に腹が立った。期待を裏切られたから。腹が立ったというよりも、ショックだった。

 「…会いたいな…。」

 いきなりドン、と背中を押された。



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