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「剣をっ…!」
腰にぶら下がっているはずの剣の柄を手で探る。そして、ハッと我に返った。
窓からは朝日が差し込み、鳥の鳴き声が聞こえる。
「あ、れ?」
部屋を見回す。何の変哲も無い部屋。枕元に剣が置いてある。バスタブに張ったままにしておいた水は蒸発してからからになっていた。
何も変わらない、啓が借りている部屋だ。
「夢…あれが?」
思い返すと心臓が激しく脈打ち始めた。
「何、今さらこんなドキドキしてんの。」
啓は乾いた笑いを漏らす。
―――夢で良かったー…。
あのまま、暗い世界に閉じ込められていたらどうなったかわからない。わけのわからない声も怖かったが、何よりも、あのひとりぼっちの感覚がとてつもなく怖かった。
啓は脱力してベッドに倒れこむ。
「変な夢…。」
□□□
「おはよーございます。」
「あっ、おはよう。」
啓が階下に降りるとモニカが笑顔で彼女を出迎えた。
「朝ご飯の準備できてるわよ。」
店のカウンターの隅に腰掛ける。二階が宿泊用の部屋で一階が飲食店になっているので食事は一階でとるのだ。
すぐに啓の目の前に干しパンとどろっどろのスープが運ばれる。見た目は悪いが、味は良い。
「新しい情報。」
「えっ、本当ですか!」
モニカはにこりと頷く。
「この町のはずれに大きな御殿が立っているのは知ってる?」
「え、と。…すいません、わからないです。」
「あとで地図書いてあげるわね。とにかくそこの家の住人さん、貿易商でとーってもリッチな人なんだけど、奥さんと子供さんが神隠しにあったのよ。」
「!」
それは、とても不憫だ。
「どんな事情で奥さんと子供さんが砂漠に出たのかはいろいろ噂が流れてるんだけど、それは置いておいて、残された旦那さんがね、神隠しの犯人を見つけ出すために何かしているって言われてるわ。」
「何か、って?」
「わからない。それを、確かめてきたらどう?あなたの探している子を見つけ出す手がかりがもらえるかもよ。」
「ありがとうございます。さっそく、行ってきます。」
朝ご飯を詰め込んで、モニカから地図を受け取った啓は店を飛び出した。
□□□
「すごい、本当に御殿だ。」
ど派手な装飾が日の光を反射して眩しい。
「チャイムとかってあるのかな。…ないみたい。」
仕方なく啓は扉代わりの布をめくって中を覗きこんだ。
―――アリタリさんの家なんか比じゃないな。これは、大理石かな?
綺麗な白いタイルが地面に敷き詰めてある。装飾品はどれもどれもが華美でごてごてした物が多い。センスで言うならばアリタリが上を行くだろう。
ちょうどそのとき御殿から誰かが出てきた。
―――あれ?…あの人、どこかで見たような気がする。
なんとなく物陰に隠れて出てきた人物を観察する。その人はラクダを連れていた。白い毛並みが綺麗なラクダだ。
「…思い出した…!」
―――あの人、あの人!!私がパズルから出てきたときに見られた人!…この御殿の人と何か関係あるのかな。
風に乗せられてラクダに話し掛ける青年の声が聞こえる。
「誰も居なかったよ。あっちに居るかもしれないから引き返そうか。」
それを聞いて啓は少し気落ちした。
―――留守、なんだ…。でも、今からあの人、心当たりのあるところに行ってくれるみたい。
ならばついて行けば良いじゃないか!なんて幸運!
というわけで、啓はこっそり青年の後に続いた。
―――尾行じゃないわよ。たまたまあの人が私の前を歩いているだけなんだから。
言い訳を頭の中で繰り返しながら啓は歩いていたが、コソコソしているのが怪しさ満点だ。そのとき突風が吹き、地面の砂が巻き上げられた。啓は腕で顔を庇う。
風が吹くたびに砂埃が舞って目に入る。痛いのはもちろん涙は出てくるわ、視界はかすむわで何一つ良いことがない。仕方がないから素直に涙を出して目の掃除をする。
この世界に来てから悲しくも慣れっこになってしまったその作業を着々と進めて、やっと痛みが取れて前を向くと、ぱちりと目が合った。
「さっきから何なわけ?」
ぎくりとした。前を歩いていた青年がいつのまにか振り返って啓を見ている。あんたが私の前を歩いてるだけよ、なんてとても言えない雰囲気だ。
「え、と…」
目をこすっていた腕を下ろし、口ごもっていると青年の方が「あれ?」と驚いた声を出した。
「君、この前落ちてきた子だよね?」
彼は天を指差してから「ドーン!げほげほ、ぺっぺ」という擬音を混ぜ合わせながら指先を地に向けた。
パズルから墜落した後の咳き込みやら、唾を吐いたことまで巧みに擬音で表現されている。少し恥ずかしい。そこまで観察されていたのか。
「う、ぁ…な、なんのことだか。」
まさか「大当たり!」などと答えられるはずもなく、だからと言ってうまく言い逃れできる術を啓はもっていなかった。残念無念。視線をそらして、はぐらかそうと試みてみたが効果はなかったようだ。
青年は不審そうな表情から一変して笑顔で啓の傍まで戻って来る。
「んでもって、神隠しに遭った子を探してる。」
息を呑んだ。
―――どうして、知ってる?
そろそろと腕が動いて剣の柄に触れる。いつでも踏み込めるように足の指に力を込めた。
青年は視線を啓の腕にスライドさせた。それからちらと啓の顔を見る。そしていきなり彼女のコートを掴み、持ち上げた。
「へえ…切り殺す気だった?」
二の句が告げないとはこのことだろう。
動く暇などまるでなかった。剣を握り締めた啓の腕が丸見え状態になる。
初めて会話を交わす相手からいきなり「切り殺す」というショッキングな言葉が飛び出したのももちろん動揺を誘った一因だが、それよりも大きかったのは相手がいきなり啓の領域に踏み込んできたからだ。
―――ななな、なになになに、なんでこんなに近いの。
相手と自分の間には目に見えずとも越えてはならない一線が引かれているものだ。それは自分を守るために、そして相手を尊重するために、なくてはならないものだ。
お互い暗黙のうちにそれを認識してその境界線は越えない。それは最低限のマナーだ。
少なくとも啓はそう思っていた。
それなのに目の前の青年は笑顔でその境界線を堂々と越えてきたのだ。
知っているはずがない事実を知っている。いきなり傍まで寄ってきた。これで警戒しない方がおかしい。
相手の腕を弾いて2、3歩後ろに下がった啓を見て青年は首をかしげた。
「どうかした?…あぁ、心配しなくても良いよ。君が落ちてきたことはまだ誰にも言ってないし、言ったとしても誰も信じないから。」
ズレたことをあっけらかんと言い放つ。
「それに俺、別に君が空から降ってこようと地面から生えてこようと、どうでもいいからさ。」
―――ど、どうでも良い…?
それは本人を目の前にしてひどい言い草ね、と思っても口には出さない。
―――どうでも良いと思ってくれているのなら私としても好都合。根掘り葉掘り事情を聞かれるかと思ったのに、そんなことにはならないみたいね。
警戒心むき出しにしていた啓だが、少し力を抜く。
それに、マナーのことを言うならば、丸腰の相手の正面で剣を握った自分もマナー違反と言える、かもしれない。
「あーでも、君に興味が無いって言ったら嘘になるね。」
「?」
「名前なんて言うの?あ、俺はグアルティエーロ。」
いきなり自己紹介?
…そうだ。どうして神隠しにあった人を探してることを知っているのか、聞きださなきゃ。
「私は啓。それでちょっと聞きたいんだけ」
「ケイかー。シンプルな名前だね。」
グアルティエーロが啓の言葉を遮った。
「俺はガーティで良いから。名前長いしね。」
ガーティがあだ名で、本名はグアル…なんだっけ?いや、もう良い。本名は覚えなくても良い。ガーティ。この人はガーティ。
「よろしく。それより」
再び啓が質問しようとして、またガーティが遮った。
「俺さ、前からケイに目をつけてたんだよねー。」
「?」
「もうちょっと調べてから君のところへ行くつもりだったんだけど、わざわざ君が出向いて来てくれたんだ。ありがとう。俺たち、意思疎通しちゃったかな?」
―――してない。
どう考えたらその結論に辿り着くんだ。
「俺、ずっと前からケイって良いなぁって思ってたんだよね。」
再び同じ言葉をガーティは繰り返した。
なんか口説かれてるような気になる啓だった。
―――これが俗に言う「ナンパ」というやつだろうか。人生初のナンパだ。
啓は自分の考えにちょっと照れた。
「出会いから変で、俺、運命感じちゃったよ。」
すごいことを言い始めた。運命だって。
「その後も君を見かけたら目が追っちゃってね、」
「そ、そうなんだ。どうも。」
そんなに、直球で言われると返す言葉に困るな。
「ケイって目立つでしょ。無駄に長い黒髪も、病気かってくらい色白なのも、見た目も超弱そうだし。けど、実際はそんなことないよね。そのギャップに俺びっくりしたよ。」
「……。」
今、なんと?
少年はにっこりと笑っている。
「鼻は低いし、足は短いし、胸もぺったんこみたいなもんだし…まぁぶっちゃけ胸は無い方が動きやすいんじゃないかなぁとか思うから良いんだけどね。足短いと歩幅が狭いでしょ。それが問題だよ。俺と同じペースで歩いて欲しいからさ。」
―――こ、この野郎!
人が黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって!
「ちょっと話が逸れたけど、まぁ、そういう訳でさ、要するに俺が言いたいのは、」
ガーティは最高の笑顔を啓に向けた。
「俺の仲間になって下さいなってことなんだ。」
にこにこにっこり。
ちゃっかり啓の手を握り締めたりしてくれている。
頷いてもらえるとでも思ってんのか、馬鹿野郎め!
「もちろん、ケイにだってお得だよ。俺のとっておきの情報を教えてあげるから。」
怪しい!存在そのものが怪しい!その手に乗ると思うな!
「君の探してるツェツィーリヤ・トルコフについて、教えてあげるよ。」
…………善処いたそう。
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