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―――今日はすることいっぱい有るのに…。
かんかんに照り付ける太陽の下、汗を垂らしながら啓は歩く。彼女の前では宿のお姉さんの娘、二コラちゃんがてくてくと歩いている。
服を買わなきゃならない。ツェツィーリア・トルコフさんも探さなければならない。いや、まずは巫覡の里か。いやいや、今は風呂用の水と睡眠だ。それ以外は二の次だ。
しばらく歩くと大きな湖が広がっていた。珍しく木が生え、草が繁っている。
「オアシス、なんだ…。」
啓は両手に持った2つのバケツを水に浸ける。満たんで引っ張り出した。ちゃぷんと水の音が聞こえる。両手でしっかりとバケツを持ち直し、バランスに気をつけて歩き出した。
時節ふらつくが、なんとか進んでいる。
そんな啓の前は二コラちゃん。こちらもフラフラしている。今にもバケツから水がこぼれそうだ。すると突然彼女のバケツをすれ違った男が取り上げた。
「?」
少女は驚いて呆然と男を見上げている。
―――何だ、知り合いか?
啓もぼんやりと男を見上げる。男はハーっと息を吐くとバケツの水を飲み始めた。
「…。」
ごくごくと咽の音が聞こえる。
―――え?なに?あの人、勝手に飲んでるんじゃないの?
啓が地面にバケツを置いて二コラちゃんの様子を窺うと、案の定、目に涙を溜めて水が飲み干されていく様子を見つめている。
飲み終わった男はポイッとバケツを放り投げた。火がついたように二コラちゃんが泣き出す。
「うるせーんだよ。また汲んで来れば良いだろうがよぉ!」
男が怒鳴りつけた。
二コラちゃんの泣き声と男の怒鳴り声を聞きつけたのか、母親が少し離れた店から飛び出してきた。その直後、男が拳を振り上げる。
「ストーップ。」
男の拳はぴたりと止まった。それもそのはず、顔まで数センチの所に剣の切っ先がある。もちろん啓の物だ。
「暴力はダメなんじゃないですか。」
啓の目はクマができている上に眠さのあまり血走り、切っ先は疲れのあまりぶるぶると震え、体中からラクダ臭を発している。強いのか弱いのかわからない。しかし、その迫力に男は仰け反り、2、3歩後退した。
「な、何者だテメェ。」
「ただの女の子です。」
啓は二コラちゃんの涙を拭うと自分のバケツを指差した。
「あれ、持って行って良いよ。」
彼女は頷くと啓のバケツを持って、よろめきながら母親の元へ走っていった。啓は剣を鞘に戻して男に向き直る。
「手荒なことしてすいませんでした。ところで、まだ飲みたいですか?」
「あぁ?」
「まだ飲みたいなら、どうぞ。どうせ私は湖に戻らないといけませんし。飲んでも良いですよ。」
残ったもう1つのバケツを男に差し出した。男がそのバケツを豪快に蹴飛ばす。こぼれ落ちた水は土に染み込んでいった。
「誰が施しなんて受けるかよ。」
そう吐き捨てて立ち去った。続いてパチパチと拍手の音が聞こえる。
「?」
啓が上を見上げるとフードをかぶった人が手を叩いていた。逆光になっているので顔が見えない。
「良いね、アンタ。」
「どうも。」
とりあえず頭を下げ、再び頭を上げた時、拍手の人の姿は見えなくなっていた。
啓はあれから転がっていった二コラちゃんのバケツを探し出して湖に引き返し、2往復ほどして浴槽に水を張った。太陽に温められている水はぬるい。
啓が服を脱ごうとした時、ノックの音がした。
―――誰だろう?
剣を持って扉を開けると、二コラちゃんと母親が立っていた。
「…先程はどうもありがとう。お陰でウチの子は殴られずに済んだわ。」
「いえ、泊めてもらってるんですからこれぐらい普通です。」
「ありがと!」
母親の後ろに隠れていた二コラちゃんがひょっこり顔を出して恥ずかしそうにそう告げた。
「…どういたしまして。」
「お礼に今日の我が家の夕食に招待したいんだけど?」
啓は満面の笑みで頷く。
「喜んで!」
「また呼びに来るわね。ラクダ臭だけ、なんとかしておいて。」
耳元で囁くといたずらっぽく笑って親子は帰っていった。
浴槽に向き直った啓はふと気がついた。
「あ、お風呂の前に服買いに行った方が良いかも。」
綺麗な体に汚れた服を着るのは気持ちの良いものじゃない。
啓は再びコートを羽織ると外に出た。
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