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黄色い世界(2)




 「あやしい…。」
 啓は小声で呟く。
 左右を背の高い建物に挟まれている狭い通りだった。日が当たらないお陰で幾分涼しくなったが、不気味だ。暗くてじめじめした空気をひしひしと感じる。そして間違いなく子供が「あそこには行っちゃダメよ。」と言われる類の場所だ。
 ―――ファイトよ、啓。
 自分に問い掛ける。
 啓は通りの入口の所で立ち止まった。日は既に傾きかけている。
 このままでは確実に苦しい野宿になる。お金が無くては宿がとれないし、水も買えない。なんとしてもお金が必要だ。背に腹は変えられない。
 「私に何かした人は斬りますからね。来ないで下さいね。」
 小声でそう宣言すると足を踏み入れた。

 □□□

 ―――うう…変な匂いする…。生臭い。
 両端に陣取って敷布を敷き、商売しているらしい人々はじっと啓を見つめている。啓はずんずんと真ん中を進んだ。右手はコートの中でしっかりと剣を握り締めている。  緊張と不安と混ぜ合わせられた状態だったが必至に換金所を探した。
 やがて、壁に突き当たる。
 「…は?」
 さっきのお姉さん!換金所なんか、無かったですよ?!
 慌てる啓の背後からしわがれた声が聞こえた。
 「おい、嬢ちゃん。」
 突然の呼びかけにびくっと啓の体が反応する。薄暗い路地裏。行き止まり。しゃがれ声。恐怖を駆り立てるには充分だ。
 「な、なんでしょう…?」
 ぎぎぎぎ、と動きの鈍い首を無理やり動かして斜め下を見やった。
 「コートの中に隠してる剣、出してみな。」
 ―――なぜわかる?!
 コートですっぽりと体を覆って帯剣していることもバレないようにしているつもりだった。
 「研いでやるよ。」
 粘っこい声が気持ち悪い。小さな禿げた男だ。不揃いの黒ずんだ歯が口の隙間から見える。
 「良いシロモノだったら交換もしてやるよ?これなんかどうだ?」
 男が啓には大きすぎる剣を持ち上げて笑みを浮かべる。啓は首を振った。
 ―――交換…もしかしてこの人が換金所の人だとか言わないよね?
 とても信用に足る人物には見えない。
 「そうか、これはデカすぎるな。…嬢ちゃん、服に興味はないかい?」
 ピクリと啓は反応した。服は欲しい。
 男が鞄の中から青い布を取り出す。セパレートタイプの服だ。露出のある服は嫌だったが、この世界ではどの女性も似たような物だった。
 郷に入れば郷に従えと言うではないか、と考えて服のデザインについては我慢することにする。しかし、剣を交換するわけにはいかない。絶対にダメだ。それに、服のサイズも合うかどうかわからない。
 ―――ダメだダメだ!こんな怪しい所で買い物ができるか!
 「いらない。お金無いし。」
 男は啓の言葉を聞いた途端あからさまに舌打ちをした。その場の雰囲気がより一層悪くなったように感じる。
 「金の無いヤツが何でこんな所に来てんだ。」
 もっともだ。
 ―――だけど、ここに換金所があるって聞いたんだから仕方ないじゃないか!私だって来たくなかったよ!
 「この近くに換金所は無いんですか?」
 啓の問い掛けに男はツンと顔を背ける。シッシと手で追い払われた。あまりの扱いに腹立ちを覚える。
 ―――何様?!この私に向かって何ソレ?!痛い目にあっても良いってわけね?
 威勢が良いのは心の中だけである。
 換金所が無いのならばこんな所さっさと出て、新しい換金所を探すのが賢明だ。
 啓が引き返して歩き出した時、右肩を強い力でつかまれた。思考が吹き飛び、反射的に剣を引き抜こうとする。

 「待った。」

 耳元で低い男の声がした。啓の右手は完全に背後の男に押さえ込まれている。
 ―――や…ば
 背後を取られただけでも十分に身の危険を感じるというのに、身動きを封じられたともなれば死を覚悟するほどの恐怖だった。
 「換金所って言ったな?」
 「そ…そうよ。」
 「俺がそうだ。」
 「へ?」
 剣抜くなよと囁き、男はそっと啓を解放した。
 啓は全く状況について行けない。それでも解放されると同時に振り返って男と距離を置いた。剣は、抜かなかった。
 ―――どう考えても、私より強いんだもんね。
 落ち着いてよくよく気配を探ると殺気は感じない。ここで剣を抜いてわざわざ煽ることも無いだろう。長く息を吐いて剣の柄から手を離した。
 (怖くない、怖くない怖くない。)
 一瞬で背後を取られた恐怖を頭の隅に追いやって、胸を張って少し顎を引いた。こうすると堂々として見えるらしいのだ。
 「あなたが…換金屋さんなの?」
 ターバンを巻いた男はにこりと笑った。啓は失礼を承知で男を眺め回す。
 予想よりもずっと整った服装をしていた。地味な色にまとめられているために気付かなかったが、指に輝くリングや所々の装飾品に品がある。芸術的感覚はよくわからなかったが、それでも価値のあるものだと感じるのだ。
 ―――私でも感じるってことは、けっこうな値打ちの物だと思うのよね。
 男は長い指でヒゲの少し生えた顎を撫で、口を開いた。
 「なんか、値打ち物持ってんのか?」
 「わからない。」
 「…まぁ、良い。見せてみろ。」
 男は手を差し出した。
 ―――とか言って、盗んでやろうって魂胆じゃないでしょうね。
 啓は皮袋に手を入れた。チャリ、と金属の音がする。中から1枚、コインを取り出した。
 万が一取られても一枚なら許せると判断してそれを男に渡すと、彼はそれを天にかざして見つめた。
 「銅だな。…だが、細工が良い。こんな模様は見たことが無い。」
 ―――そりゃあね。この世界の物じゃないんだから。
 内心でにんまりと笑う。
 「銀貨5枚でどうだ?」
 相場がわからない啓は考え込む。
 ―――銀貨で5枚か。銅が銀に変わって、枚数も増えるんだから上等だよね?
 啓が返事をする前に何を思ったか、男が唸った。
 「安いか?…じゃあ8枚。」
 「あ、それで。」
 うん、と男は満足そうに微笑む。チャラ、と耳にぶら下がっている金のイヤリングが音を立てた。
 「悪いが、今は持ち合わせが無い。家まで来て頂ければすぐに交換できるが。」
 「行きます。」
 男が歩き出し、啓はそれについて行く。周りで耳を済ませていた奴らは好奇の視線を投げてきた。ネックレスなどを差し出してくる者まで居る。
 買わないってば。



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