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揺らめく都へ(3)




 「ねぇ…」
 ポタポタッと2滴、汗が流れ落ちて地に落ちた。
 「ねぇ、ガーティってば!」
 「んー?」
 のんきな返事。彼は啓よりも少し先を進んでいる。彼のラクダと啓のラクダを繋ぐ紐は少したるんで、ゆらゆらと揺れていた。
 「熱いんだけど。」
 「当たり前。」
 「わかってるけどさー…」
 汗は止まんないし、里は見当たらないし…。
 村を出発してかれこれ半日。途中に一度、食事休憩を取った以外は、ろくに立ち止まっていない。
 小指族のコートもどうしてか、大氷山の時ほどの効力を発揮していないようだ。
 ―――寒いところの方が効くのかな?
 湿りによる不快感を全身に覚えながら、啓は太ももに力を込めた。
 「ちょっとペース、速いよ?」
 ガーティが振り返った。フードの陰で見えにくいが、顔をしかめていることはわかる。
 「…あのね、念のために言っとく。」
 「?」
 「これは、散歩じゃない。」
 「…わかってる。ごめん、言ってみただけ。」
 早く到着したい。それはもちろんだ。
 ―――なのに。
 「なんでかなぁ。気乗りしないなぁ。」
 おかしい。
 なんだろう、何かおかしい。変わってしまった。何か。
 啓はぐりぐりとこめかみをマッサージする。
 「バーカ。」
 前方からの声は流して、今一度、気を引き締める。
 「よしっ。幻の都はどこだ?!」
 目を瞠って、見渡すこと360度。なーんにも、ない。あるとすれば黄色い砂ばかり。初めの感動はもうすっかり消えうせていた。

 □□□

 「調べた情報によると、この辺なんだけどね。」
 ぽつりとガーティが呟いたのは、あれから更に5時間ほど経った頃だった。
 日はとっぷりと暮れ、空には満点の星。
 「ねぇ。」
 「はいはい。」
 昼間とまったく同じノリでガーティが返事をした。
 「なんか、冷えてきてない?」
 「そうだね。ここ、砂漠だからね。日が落ちたら寒くなるさ。それより、この辺なんだけどさ。」
 風は相変わらず無かった。そよ風すらほとんどない。だというのに、気温はガタンと下がった。
 ―――寒さは平気なのよ。
 やはり、暑い地よりも寒い地の方がコートは効力を出せるようだ。顔に触れる空気がひんやりとしてきたから気温の低下に気付いたが、そうでもなければ、気付かなかったろう。それくらい、身体は温かかった。
 考えてみれば、それも納得できる。大氷山は年中雪に覆われた地。昼間のあんな高い気温など、小指族たちには想像もできないだろう。
 寒い地で作られたコートなのだから、暑い地で効果を発揮しない方が普通なのだ。
 ―――異世界に飛ばされてから、ほとほと私の常識が通じなかったからなぁ。
 『常識など通用しない、それどころか存在すらしない。』という感覚が板についてしまっているような気がする。寒いところでは暖かく、暑いところでは涼しく保つなんて、一着でそんな万能なコートがあるはずないだろう。
 少し考えればわかるというのに「へぇ、便利。さすがね。」なんて鵜呑みにしていたものだから、ちょっと想像以下だっただけでがっかりするのだ。
 「少し不便なくらいが、ちょうど良いのよ。それが普通なのよ。」
 「聞いてる?」
 「…え?何が?」
 フードを外したガーティは不気味なほどにこやかだった。
 「目的地がこの辺だって…つまり、到着したって言ってんだけど?」
 「え、えぇ?なんにも、ないけど?」
 慌ててきょろきょろと見渡すが、今までと同様、砂ばかり。
 「うん。まぁ、そんなすぐに見つかるとは思ってなかったけどさ、見事に何にも無いね。」
 「道、間違ったんじゃないの?」
 「道なんか無いから。」
 「…そうだけど。んじゃあ、ちょっと移動してみよっか。」
 啓がやっと慣れてきた手綱さばきでラクダを方向転換させる。自分のつたない技術に満足し、啓は額の汗をぬぐった。

 「ダメだ!ダメダメダメー!ケイ、ケイ!動かないで!!」

 ビリ、と電撃が走ったように啓は不自然な体制で固まった。
 「え?ヴィル…?」
 きょろきょろと辺りを見回す。
 ―――ヴィルジールの声?…まさかありえない。…でもダメって何?!どうして動いちゃダメなの?
 耳元で響いた怒鳴り声に戸惑いを隠そうともせず、声の主を探し続ける。
 「大丈夫?」
 ガーティが怪訝そうに尋ねる。啓は激しく頷いた。
 「うん!あたしは大丈夫だけど、今声がしたよね?」
 「いや別にしなかったけど。」
 「っえぇ?したよ、したした!」
 啓は断言するが、ガーティは断固として譲らなかった。
 「空耳だよ。砂漠ではそういうこと、たまにあるし。第一、誰が声を出したわけ?俺たちしかいないのに。」
 「…。」
 そう言われてしまえば、黙るしかない。
 首をかしげる啓をよそにガーティは身軽にラクダから降り、荷物も降ろした。
 「移動しても良いけど、今日は日もすっかり暮れてるし、冷えるからもう休みにしよう。明日、また調べれば良いし。身体も予想以上に疲れてると思うしね。」
 啓も見習って荷を降ろす。
 「ということは野宿、だね。」
 まただよ。また野宿だよ!うら若き乙女が野宿だよ!チクショウ!
 しかし文句は言えない。無言で寝袋を取り出した。
 「もう寝るの?夕飯は?」
 「食べるともさ!」
 どっかりと腰掛ける。ガーティは苦笑しつつ向かいに腰掛け、取り出した果物をナイフで切り分ける。
 「はい、どうぞ。」
 「…ありがとう。」
 みずみずしい果汁が手に零れ落ちた。それを器用に舐めとってから、啓は果物にかぶりつく。
 「おいしい。」
 「これが一番水分含んでるからね。甘いし、疲れも良く取れる。」
 「ふーん。」
 それからしばらく、黙って食事を続けた。
 「すごい星だねぇ。」
 「…そう?普通でしょ。」
 ガーティの怪訝そうな表情。啓は、ぐっと言葉に詰まる。
 ―――そっか。この世界ではこれが普通なんだ…。
 満天の星空。多すぎて、数えるとか絶対に無理だ。暗いけど星はまばゆくて、月は無いけれど、ヘンテコな一際でかい星がある。
 地球に居た頃はこんな星空見たことが無かった。もっと田舎に行けば、見られたのかもしれないけれど、残念ながら啓の町では見えない。メシャルの世界では地下活動が多かった。だから星空は見上げていない。意識したことがなかった。惜しいことをしたと、少し思う。
 「アリタリさんはさ、どうして一緒に来なかったのかな?」
 「んー…。」
 ふいに思い出したので尋ねてみる。
 「アリタリは、仕事が忙しいから。」
 そんなことは知っている。けれども、誰かに任せれば良いじゃないか。
 啓のその疑問に答えるようにガーティが話してくれた。

 アリタリの仕事は貿易。世界に数少ない資源を分配すること。人手はあるらしい。最大手だそうだ。
 けれども、残念ながらアリタリには代わりが居ない。
 なぜか?

 「呪われてるんだそうだよ。」
 「ん゛―…?」
 ―――呪い?
 正確には「呪われたポジション」だそうだ。
 その地位に着いたものは続々と辞職、あるいは過労で病気になる、もっと悪ければ亡くなってしまうほどだそうだ。
 「ぶっちゃけ、仕事が多いっていうだけのことなんだけどね。」
 「なんだ、じゃあ呪いでもなんでもないんじゃない。」
 「まあそうなんだけど、言いたくなるのもわかるよ。この三年間で15人が辞めた。」
 それは多い。
 「とにかく能力が必要な地位でね。誰もやりたがらないのさ。責任が重過ぎる、なんて言ってね。『呪い』なんていわれ始めると尚更だよ。けど絶対に必要。で、アリタリがしぶしぶ引き受けたってわけさ。アイツが長期間休むと世界の交易に支障が出る。」
 「ふぅん…嫌な役だね。代わりが居ないから休むわけにいかない、か。どんな仕事なの?」
 「主に交渉だけど…これ以上の情報はお金。」
 ひらりと手の平を出される。
 「やーなこった。」
 言えないようなヤバイ仕事なのかな。
 「なんにせよ、笑える話さ。家族より仕事、ってことだから。俺にはわかんないね。」
 「ガーティ、家族居たの?!」
 「内緒。」
 「…。」
 秘密主義者め。
 啓はその場に寝そべってゴロゴロ転がりつつ、空を眺める。
 「砂付くよ。」
 「いいの。」
 つかの間の休息。朝になれば、また体力が奪われる灼熱の地だ。
 「冷えるから、眠るときはラクダに引っ付いて寝なよ。風邪ひかれたらたまんないからさ。」
 「はーい。」
 よく気がまわる。
 啓は相棒のアドバイスに素直に頷きながら微笑んだ。
 ―――ガーティが一緒で良かった。
 砂漠の旅初日にして、さっそく思い知った。
 言うだけ言って先に眠り始めたガーティ。横目で見つつ、今日一日を振り返った。

 砂漠はやはり予想以上の場所で、暑さはもちろん、危険な生物に遭遇したときの対処の仕方もガーティが居なければどうしようもなかっただろう。
 「サソリとかさぁ…。」
 ボソッと一人つぶやく。
 基本的にはラクダに乗っていたのだが、それでもあの暑さの中ラクダの背に揺られているというのはキツかった。気持ちが悪くなったのだ。さしずめ、ラクダ酔い、と言ったところだろう。仕方なしに休んでいると、素早い動きでサソリが近付いてきたのだった。ぐでっとしていた啓は気付かなかったが、めざといガーティが手持ちのナイフで一撃し、事なきを得た。
 ガーティがナイフを振り下ろしてきたときは本気で殺られると思ったものだ。
 食べ物も、モニカさんに貰ったものでは少し栄養素が偏っていたみたいで、その辺はガーティの手持ちのものを貰って補っている。
 「どっちが用心棒やら…」
 それでもなんとなく感覚は掴んだ。
 明日からは足を引っ張る回数も減るだろう。そうしなければならない、と啓は考えて今一度、夜空を見上げる。
 「そういえば、目的地に着いたのに、なんにもないんだけど。これからどうすんのかな。」
 ぼんやりとした頭で、案外大問題なことをつぶやき、眠りについた。



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