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師長の家(2)




 「…え?」
 啓は呆然と少年を見つめる。少年は青い瞳を細めて、髪をかきむしった。
 「だから、レヴィオスがやられた。」
 吐き捨てるようにもう一度繰り返した。心臓が大きく脈打っている。口の中が乾いてくる。啓は何か言おうと口を開いたのだが、声が出なかった。震える手を握りしめる。
 ―――やられた?やられたって…
 「…死んだのか?」
 クライドの質問に少年が答えるまでの時間が長く感じる。早鐘のように脈打つ音、血の巡る音が耳障りだ。
 「いや、別の部屋に居る。死んではいない。」
 その返事を聞き、ひときわ大きく音を立てた後、啓の心臓は段々と元のリズムを取り戻し始めた。弱々しく息を吐く。
 「意識不明だけどな。案内してやる。こっちだ。」
 少年は足でゲームの電源を切ると、早足で部屋を出た。啓も震える足で後を追う。

 案内された部屋に入ると、窓際のベッドに見慣れた青年が眠っていた。
 「…レヴィオス?」
 傍に寄って呼びかけるが、ちっとも反応しない。啓はレヴィオスの手を握った。頭に包帯が巻いてある。
 「ヴェノスが訪ねてきた可能性が高いな。」
 背後で少年が呟いた。
 「お前ら、コイツの所行ったんだろう?」
 啓は頷いた。
 「パズルにコイツが来たのがわかってさ、珍しいこともあるもんだってーことで、オレが直々に会いに行ったんだよ。そしたら、血まみれで転がってた。」
 少年は淡々と語る。
 「ホント、運の悪いヤツだ。」
 少年が啓の横に立ち、レヴィオスの鼻を人差し指で押した。
 「ブーブー。」
 「…おい、」
 クライドが少年の腕を掴む。
 「悪運も強いが、強運でもある。そうは思わねーか?コイツは生きてるんだからさ。知ってると思うが…レヴィオスの能力は異端だ。パズルの全体像を『見る』ことができる。この全世界で分身の居場所が分かるのはコイツだけだ。」
 少年は微笑を顔に浮かべて、クライドの腕を払った。
 「ヴェノスもこいつの存在は知ってた。本来なら、すぐここに匿う所だったんだが、どういう事情があるんだか知らないが、嫌がってさ。…まぁ、こんな所にずっと居ろなんて嫌だろうな。気持ちは、わかる。」
 少年は髪をかきあげて、溜め息を吐いた。
 「だから、レヴィオスの意見を尊重してやってたんだが…。こうなることは目に見えてた。起こるべくして起きた事件だ。」
 「わかってて、放っておいたってこと…?」
 「空間師長って言ってもな、それぞれの空間師の行動を制限したり、命令を下したり、そういった権限は持っていない。ただの、名目だ。常にパズルの側で、事態を見守る。その役目を与えられた。何もしないんじゃない。しちゃダメなんだ。それにオレは、パズルとこの家、それ以外の場所には行けないからな。」
 つまんねぇ生活だよ、と呟いて少年は自嘲した。
 「だが、オレの居るここには手は出させねー。これ以上レヴィオスには指一本触らせない。だから宮島啓、お前の行き先がヴェノスにばれることは無い。」
 「…うん。」
 「レヴィオスは命懸けでお前の情報を守った。それを、忘れないように。」
 「わかってる。」
 少年は微笑んだ。
 「なら良い。オレは魂を出す準備をする。しばらくしたら、秘書を寄越すからソレから詳しく話を聞いてくれ。じゃあな。」

 パタン、と扉の閉まる音がした。

 □□□

 「…という事なのですが、話聞いておったかの?」
 クライドに肩を叩かれてハッと我に返った。
 「え?」
 目の前で老人が溜め息を吐いた。顔のしわによる陰影のせいか、酷く疲れているように見える。
 ―――この人が、ミランダの言っていた秘書さんか。
 ぼんやりと老人を見つめる。それから、啓は溜め息を吐いた。
 「人の顔を見ながら溜め息を吐くのはやめて頂きたい。」
 「…あぁ、すいません。」
 「ずいぶんと、疲れていらっしゃるようだ。」
 啓は首を振る。
 「あなたほどでは…。」
 老人は笑った。
 「…心配はほどほどにしときなされ。しなくても良いくらいじゃ。アイツは目覚めるからの。」
 何を根拠に?啓は口角を上げた。上手く笑みが作れない。
 「信じることが、重要じゃ。そうは思わんかのう?」
 信じる、か。
 そういえば私、そのことでヴィルジ―ルに説教したことあったんだっけ?
 第3中継所での喧嘩を思い出した。
 『信じることで、また前に進める。』
 ―――そうだね。
 「…頭では、わかってるんですけど。」
 「みんな同じ気持ちじゃ。師長などは、毎日毎日、ヤケ酒にヤケゲーム。見ていて、胸が痛む。」
 「そうなんですか…。あ、そうだ。小指王子から預かってきた手紙があるんです。」
 啓はゴソゴソと鞄の中から手紙の束を取り出し、秘書に渡した。
 ―――小指王子…。
 賑やかで、時にうるさく、それでも心は強かった。
 見習わないとな。
 啓は肩に乗っていた彼を思い出し、小さく微笑んだ。ポンと頭に手が乗せられる。見上げると少し心配そうな表情のクライドと目が合った。大丈夫、と啓は頷く。
 「ごめんなさい、話もう一度、聞かせてもらえますか?」
 「もちろんじゃ。」

 □□□

 「…なるほど。あなたがクライドから魂を取り出す。それを私が受け取って、印が現れる所、額に押し込めば良い、ということですね?」
 「優しく扱うんじゃ。魂は繊細だからのう。」
 「はい。」
 しっかりやらねば!
 「とりあえず、今日の所は疲れておられるだろうし、説明だけにしておこう。こちらも準備が必要じゃ。明日、取り込むのはどうかの?」
 「わかりました。」
 啓は立ち上がった老人を見上げた。
 「…何か?」
 「えと、ちょっとした疑問、なんですけど、ここでは私、額が熱くならないんですけど、なぜかご存知でしょうか?」
 「フム、シャルが強火にしすぎたとか言っていたやつのことかの?空間師の能力などはこの家では師長に認められたものしか使うことができん。啓さんの体に備わった能力の負の面、空間師長が認めておられないのじゃろう。だから、発動しない。」
 良いヤツじゃないか!
 啓の中にある空間師長の評価が上った。額の熱は非常に厄介で面倒で、とにかく最低なのである。
 「この家の中では絶対的な力を持っておられる方じゃが、哀れよのう。…啓さん、ここでゆっくり休まれると良い。それから…クライドと言ったかの?こちらへ。」
 クライドが立ち上がった。
 「ゆっくり休めよ。」
 「クライドもね。」

 □□□

 「クライド殿はこの部屋で休んで下され。それから魂を取り込まれた後の体のことじゃが、どうして欲しい?」
 「どうして欲しいって…?」
 「冷凍して保存する方法と、そのまま眠る方法があるのじゃ。」
 一瞬どきっとする。小指族の重役達を発見した時を思い出した。何気なく払った雪の下から出てきた彼ら。あまりの衝撃に、今でも脳裏に刻み込まれている。
 「冷凍保存にすると、肉体を今の状態のまま保存できる。」
 「じゃ、体が鈍るってことは?」
 「無いのう。」
 なるほど、便利だ。パズルを戻し終わったら、自分はこのまま大氷山を下ってトリジュに帰る。その時に体が鈍っていれば、色々と大変だろう。
 「冷凍保存でお願いします。」
 「承知した。」
 老人は頷くと部屋を出て行った。廊下を歩く音が遠ざかっていく。クライドはベッドの端に腰掛けた。
 「ヴェノスは、何を考えてんだ…?」
 レヴィオスが襲われたのはもちろん、啓のこれからの行き先を聞こうとしたヴェノスに抵抗したからだろう。
 「なぜ、逃がした?」
 クライドに言わせて見れば、レヴィオスは戦いの心得は無くも無いようだが、素人の分類に入る。
 体も細く、もやしだ。
 その点、ヴェノスは大氷山でアドの不意打ちを避けるような動体視力を持っている。コートのせいで体つきはよく分からなかったが、体から流れ出る気が普通ではなかった。
 何よりも、自分とアドに挟まれて、あの余裕。
 「レヴィオスが逃げようと思って逃げられるような相手とは思えねぇ。」
 確かに、人間死に物狂いになれば奇跡に近いことをしでかす場合もある。
 しかし、クライドにはどうしてもヴェノスがレヴィオスを「見逃してやった」ように思えるのだ。
 「気味悪い野郎だな…。」



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