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雪山と小人と地下空間 下(4)




 「くれぐれも気をつけてね。氷柱とクレバスと…あぁ、あと陥没も。」
 「…はい。」
 「ヴィンフリートは可能な限り危険を知らせてくれますし、雪崩が起きても心配いりません。」
 啓は頷いた。

 ヴィンフリートとは第5中継所のペットだ。鷹、である。
 ―――私にも翼が欲しい…!
 切に思った啓だった。

 □□□

 危険だから、との理由でクライドは分身せずに歩いている。その体からはいつもとは違ったオーラが出ていて、緊張していることがよく分かった。
 歩き始めてしばらくすると、女王が言っていた通り、大きなクレバスが口を開けていた。クライドは荷物の中から縄のついた槍を取り出して、向こうに投げつけた。そして、縄を引っ張ってしっかり刺さっているか確認する。そして、投げた物と対になる槍を足元に刺し込み、縄をしっかりと巻きつけた。
 「あんまり強く引っ張ると抜けちまうが、まぁ、これが限界だろ。」
 3本目の槍も隣に投げつけた。そして同じことを繰り返す。
 そして担いでいた「はしご」をその縄の間に架ける。
 「よし。俺から行くぞ。」
 二本の縄は、体のバランスをとるためにある「支え」だ。手すりの代わり、とでも言おうか。
 クライドはその縄を掴むと、はしごに足をかけて一歩一歩進み始めた。そして、時間をかけて渡り終える。
 「ケイ、俺でも渡れたんだから大丈夫だ。足元は見ても良いが、下見るなよ。」
 「難しいこと言わないでよね…。」
 「ファイトです、ただの救世主様!」
 縄を掴んで片足をはしごにかける。
 ―――こ、こ、こ、怖い…。
 「止まるな、私。」
 止まったら終わりだ。足が竦んで動けなくなるぞ。縄を掴む両手がありえないほど汗ばんでいる。進むために足を上げる瞬間が1番緊張した。なんとか、クレバスを渡り終える。啓はへなへなと座り込んだ。
 「…もう無理。」
 「よーし、よくやった。終わったからな。」
 クライドが啓の背中を撫でる。
 「行けるか?」
 「うん。」
 まだ震えている脚を叱咤して立ち上がる。
 「こ、怖かったねー…。」
 「もう無いので、大丈夫ですよ、救世主様。」
 ―――地に足が着くことの嬉しさ…!
 啓はクライドの邪魔にならないようにそっと彼のコートを掴んだ。体の震えが止まらないのだ。クライドは気付いたようだが何も言わなかった。
 その時空中でヴィンフリートが羽ばたく音が聞こえた。
 クライドは上を見上げて、咄嗟に啓を腕に包むと横に飛んだ。
 「―――?!」
 大音響と共に氷塊が降って来た。
 「氷柱か…!」
 続いて、ズズンッという音がする。突き上げるような振動が足元に伝わってきた。素早く立ち上がった啓とクライドは一瞬、ほんの一瞬だけ目を疑い、次の瞬間には駆け出した。
 地面が目の前で裂け始めたのである。
 荷物を持ち、アイゼンをつけていてはあまり速く走れない。
 ―――だけどこのままじゃ死ぬ!
 必至で走った。
 そして、何とか難を逃れて地面に座り込む。2人ともぜぇぜぇと荒い息だ。
 「あれがっ…陥没…。」
 陥没が起こった場所から向こうでは雪崩が起きていた。さっき渡ったクレバスに雪が飲み込まれていく。
 「とりあえずは…これで、一通り危険なことは経験しました、ね。」
 小指王子の言葉に啓は頷く。クライドも溜め息を吐いた。
 ヴィンフリートが心配したのか、空から降りてきた。
 「なんとか大丈夫だよ。知らせてくれてありがとう。」
 首の辺りを撫でて餌用に、と貰った肉の切り身をあげた。

 □□□

 「頂上が見えるぞ、ケイ。」
 「…わぁ本当だ。」
 「やっと、だな。」
 「うん。」
 一歩一歩、頂上に近づいていく。
 ―――呼吸が、苦しい。
 それでも、もうゴールは目の前だ。
 頑張れ、私。
 必至で啓は自分を激励し、叱咤して進む。クライドの「啓を背負う」という提案は丁寧に断った。
 最後くらい、自力で行きたい。

 「着い…た。」

 啓はぐしゃりと座り込む。足が弛緩したように動かない。ポケットから出た小指王子がクライドの頭の上に立って高笑いしていた。クライドも辺りを見渡して「すっげー。」と感動している。
 「見てみろよ、啓。」
 「ちょうど、日の入り?」
 「だなー。」
 それから2人は沈黙した。
 「いよいよですか。」
 「うん。」
 「お別れだなー。」
 「うん。」
 「救世主様、私ともお別れですなぁ。」
 「うん…。」
 啓はすすり上げた。ぽろぽろと目から涙がこぼれる。
 「色々あったなぁ…。」
 「…淋しい、よ。」
 「俺は、これから啓の中に入るんだから、お別れって言っても、ちょっと違うような気もするけどな。もしかしたら、話できるかもしれないぞ?」
 「けど、もうこうやって面と向かって話すことは、できない…!」
 「できねぇな。」
 「一生、会えない…!」
 「うん、そうだな。…そんなに泣くな、バーカ。」
 啓はすっぽりとクライドの腕の中に収まる。啓は歯を食いしばって涙を堪える。
 「ブッサイクー、ですなぁ。救世主様。」
 「小指、王子…!」
 「今までありがとう御座いました。救世主様もクライド様も。私は、決して知るはずがなかったこと、会うはずが無かった人々と会うことができました。幸せ者で御座います。」
 「…こちらこそ、ありがとう…!」
 「クライド様とはまた会えるかもしれませんが、ケイ様とは会えそうもありませんなぁ。…でも忘れません。決して忘れません。約束いたします。…忘れられませんな、こんなブッサイクでどんくさい救世主様は。」
 小指王子はくすくすと笑った。ヴィンフリートが甲高く鳴いた。
 「おや、早速、私に使いが来たようです。」
 小指王子は微笑んで上を指差す。ヴィンフリートよりも一回りほど大きな見たこともない鳥が飛んでくる。
 「美しい鳥です。あれで帰還ですか…いやぁ、鼻高々です。」
 舞い降りた鳥の背に小指王子はまたがった。
 「おおっ!救世主様、小指用の座席があります。すばらしい!」
 鳥はふわりと舞い上がった。
 「救世主様、目を逸らしてはなりませんぞ。現実を見なければ進まないのです。頑張ってくだされ。ご健闘と、ご健康をお祈りしております。それでは!」
 「小指王子!私も忘れない!元気でねー!」
 ひゃっほーい、という弾けた返事が大氷山の頂上に響いて消えた。

 「俺達も、迎えがきたぞ。」
 クライドの声に振り返って見ると、1頭の青い馬がその場に佇んでいた。啓と目が合うと流れるように頭垂れる。
 「乗れ、ってことかな?」
 「みたいだな。」
 啓とクライドが座ると馬は天に向かって駆け出した。



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