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遠くを歩いていたクライドが向こうで手を振っている。それに気付いた小指王子がニヤつく口元を手で押さえながら、啓達の所にテンキチを走らせ、それからクライドのところに向かった。
彼は呆然としてただ前のソレを凝視している。
「どうかしたの…?」
「これ…なんだ?」
啓の問い掛けにクライドは前のものを指差した。その先を目で追った啓達は『ソレ』に目が縫いつけられた。
最初『ソレ』がなんなのか分からなかった。しかし、次の瞬間理解し、悲鳴を上げかけた口を寸での所でミッキーが手で塞ぐ。
「悪趣味な…。」
ぼそり、とそう呟いた。
『ソレ』氷に閉じ込められたは小指の者達の亡骸だった。1人や2人の物ではない。皆、氷の中で苦悩の表情を浮かべている。
「雪崩に、巻き込まれたのか?」
クライドが誰にという訳でもなく尋ねた。震える声で答えたのは小指王子だ。
「違いましょう。…刺し傷があります…。見世物にしたかったのでしょう。」
啓の頬から滴が流れ落ちた。それは口元を覆ったミッキーの手に当たる。彼はそれを優しく拭った。
「だ…出してあげよう。」
クライドは頷いて剣を抜こうとし、やめた。
「斬りつけるのはマズイな…。火を焚くか。」
彼は懐からマッチを取り出した。蝋燭に灯して、氷に近づける。
燃える蝋燭は少しずつ氷を溶かしてゆく。啓達は側に座って待った。
―――ひどい。ひどい、ひどい。
啓はうずくまる。とめどなく涙が流れた。小指族の者達の表情が頭にこびり付いて離れない。
数時間経った頃だろうか、日も傾きかけた頃、全ての者が助け出され、やっと瞳を閉じることができた。
「ヴェノスに…間違いないですね…。」
小指王子が呟いた。誰も答えない。
「小指族は火葬か?」
唐突にクライドが尋ねた。
「いえ、土葬です。」
律儀に小指王子が答える。その顔は憔悴し、疲れきっていた。
「そ、か。じゃあその辺見回ってくるわ。小指王国早く見つけて、こいつらを埋めてやらないとな。いつまでもこんな所に居たんじゃ、寒いだろう。」
静かに横たわる無数の亡骸を見てクライドは言った。啓も立ち上がる。クライドは苦笑して、啓の頭を撫でると彼女を残して歩いていった。
「ケイ、休んだ方が良い。顔色が悪い。」
残されたミッキーが啓に向かって言い、座らせる。
―――これがあったからだ。
あの時、ヴェノスが啓に逃げ道を用意していたのは、単に楽しみたかったからだけではない。
これを啓に見せたかったからだ。
啓は先のことを考えてヴェノスを心の底から恐怖し、憎んだ。
―――なんなの…何がしたいの?どうしてこんなことをするの?
「小指王子。」
「…なんですか?」
「この人たち、ポケットに入れてあげても良いかな?このままじゃ寒いよ。」
「お願いします。」
啓は小指族1人1人をポケットに入れた。折り重ならないように気をつける。手を触れるたび、その冷たさに身震いし、涙がこぼれた。
□□□
クライドが戻ってきたのは次の日の朝だった。彼自身ひどく疲れているに違いないのに、慣れない雪道を走って戻ってきた。
「見つけたぞ…!」
その言葉に現実と夢の世界を行き来していた啓は飛び起きる。啓は息を切らしているクライドを初めて見た。寝ていなかった小指王子とミッキーは立ち上がった。啓は眠ってしまった自分がなんだか情けなかった。
クライドは少し息を整えてから小指王子を見る。彼の表情を見て、小指王子は何かを悟ったのか、頷くと言った。
「私のことなら、大丈夫です。行きましょう。」
ぴょこんと啓の肩に乗る。
「思ったより遠かった。分かりにくい場所にあったしな。」
意味ありげにクライドはそう言うと啓達を案内する。テンキチはいよいよ進むのを嫌がり、しきりに引き返そうと啓のコートに噛み付き、引っ張る。
「テンキチ…先に進まないといけないの。」
啓がそう言っても一向に聞く気配は無い。首を振るばかりだ。
「この辺で帰したほうが良さそうですな。」
小指王子が呟いた。
「これでも我慢した方でしょう。昨日から相当嫌がっておりましたし。」
そしてメモに何か書き込むと、そのページを千切ってテンキチの首にくくりつける。
「嫌なことをして悪かった。そら、これをお前の里まで届けてくれ。案内はここまでで良い。」
テンキチは迷っているように少し首を傾げ、それから踵を返すと一目散に駆けて行った。
半時間ほどだろうか、無言で雪道をひたすら歩く。
「…ここだよ。」
突然クライドが立ち止まった。しかし、旗など無い。ミッキーが隣で溜め息を吐いた。
「その、クレバスはなんだ。」
彼はクライドに尋ねる。しかし答えは既に出ていることがその表情から見て取れた。
目の前には地を横断する巨大なクレバス。
「初めは通り過ぎちまったんだが、やっぱおかしいと思って降りてみた。」
「…降りてみたって…」
この中に?
「そしたら、まぁ、小指王国っぽい物が見えたんで急いで知らせたわけだ。」
「っぽいもの、ですか。」
小指王子が呟いて顔をゆがめた。
「啓、俺の背中にくっ付いてろ。1回降りたから感覚は分かる。」
啓は頷くとクライドの背中におぶさった。
「でこぼこしたクレバスでさ、足を掛ける所が結構あるんだ。小指王子はミッキーのポケットに入っとけ。」
小指王子も素直に従った。
「ね、クライド大丈夫?」
皮膚を岩で切ったのだろう、その指からは血が流れていた。
「大丈夫だ。ケイは心の準備しとけ。」
「…うん。」
その言葉の意味を理解して、啓はきつくクライドの肩を握った。
クレバスを下った所に広がっていたのは間違いなく小指王国だった。雪が積もり、所々建物は崩れ落ちている。
あちらこちらに人が倒れている。予想以上の有様に啓はクライドの服を握り締めた。
「これは…。」
小指王子は絶句してそう呟いたきり、黙り込んだ。
「火事があったのか。」
「みたいだな。この現状はそれだけが原因じゃないだろうが。」
ミッキーの言葉にクライドも頷く。
地下世界では煙が充満しやすい。だから火事は天敵だ。火の扱いには気をつけなければならない。クライドは「ひでぇ。」と言って側の焦げた板を持ち上げた。下敷きになっている人を見つけて、彼はそっと救出する。しかし、生きていなかった。ポケットに入れる。
「大丈夫か、ケイ。」
啓は辛うじて頷いた。口を開いたら吐いてしまいそうだった。胃の辺りがむかむかする。その時だった。
「…啓?」
ビクッと反応する。細剣を引き抜き、振り返ってそのまま固まった。
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