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雪山と小人と地下空間 中(3)




 「もう出発になられるんですか?!」
 これは第2王子の言葉である。
 「まだ2日ほどしか滞在されていないのでは…?」
 うろたえる王子に苦笑しながら啓は答えた。
 「はい。しかし、先を急ぐので。第3中継所のことも気になりますし。この2日間お世話になりました。昨晩の夕食はとてもおいしかったです。招待して頂いてありがとう御座いました。」
 第2王子もその周りの人々もあからさまにガッカリした表情だ。
 「そうですか…残念ですが、仕方ないですね。あ、出発の準備はしてありますので心配しないで下さい。あとですね、ここからは登るのがよりいっそう困難になってまいります。雪崩もわざとじゃなく自然に起こりますし、クレバスもあります。危険度は格段に増すでしょう。本当に気をつけてください。」
 「ああ。雪崩は尋常じゃなく危険だからな。」
 第2王子とクライドは深く頷きあった。
 「テンキチを待機させております。こちらへ。」

 真っ白な毛並に尾の先だけが黒い。とても美しいイタチだった。
 ―――これの名前が「テンキチ」なのか…。惜しいな。
 その隣にはコンが眠っていた。
 「コン!」
 小指王子が駆け寄る。その耳の後ろ辺りに飛びつき、体をわしゃわしゃと動かした。コンが目を覚まして小指王子を優しく舐める。
 「こんな所で寝るな。寒いだろう!…無事に帰るんだぞ。…そうだ、これをダフネに届けてくれ。」
 コンの首に巻きつけてある輪に紙を結びつけた。
 「大事な手紙だからな。」
 コンは返事代わりにぺろりと王子を舐めた。そして、踵を返すと駆け出す。少し行った所で足を止め、一度振り返ると可愛らしく鳴いて、また駆けて行った。
 「いささか、寂しいですなぁ。」
 小指王子は少し肩を落として啓のポケットに飛び込んだ。
 「怪我をしないように気を付けて下さい。クレバスと落下してくる雪に気を付けて下さい。」
 ―――落下してくる雪?
 疑問に思いつつも啓達は頷く。背後ではたくさんの第二中継所の小指の人々が手を振っている。ペンポンパンの赤いとんがり帽子も見えた。
 「ありがと。さようなら。」

 □□□

 「今日は吹雪いてないから楽だな。」
 「うん。でもこんなに晴れてると帰って不安かも…。」
 啓の言葉にポケットから小指王子が顔を出した。
 「そうでございます。雪崩というのは普通、高地で、雪が降り積もった所、そして温かい時に起こるのです。この間の物は例外中の例外です。という訳で、クライド様、危険な日ですよ。」
 クライドが少し青ざめ、歩調が速まる。
 「さっさと第3中継所に行かねーとな。」
 小指王子がククッと笑った。

 □□□

 雪が深く積もっている場所に差し掛かり、一歩進むだけでも大変だ。
 ―――このまま行ったら筋トレでよくやった「腿上げ」みたいに胸まで足を上げてーってなことになるんじゃないかな…無理。
 自分の想像に少し凹んでいる啓の横でクライドが声を上げた。
 「へぇ。大氷山にもあんな岩、有るんだな。調度良いや。あの辺で晩飯にしようぜ。」
 見ると、大きな岩が雪から数個、飛び出していた。

 「いやー、それにしても思っていたんですが…。」
 小指王子が第二中継所でお弁当に、と持たしてもらったサンドイッチを頬張りながら切り出した。
 「やはり、ヴェノスの時の雪崩は異常ですよ。」
 クライドが「はぁ?」と首を傾げる。
 「何を今更…。」
 「まぁ、聞いてくださいよ。勢いがあれば、吹雪いていようがなんだろうが、一度起きた雪崩は洪水のように流れると思うんですよ。それはまだわかるんですよ。しかしですね、その雪崩の起こし方がイマイチ理解できなくてですねぇ。」
 「…?ヴェノスはなんか変な道具持ってるんじゃないの?ほら、空間師だし、他の世界から持ってきた道具とか使ったら雪崩も起こせちゃうんじゃない?」
 ―――地雷とか時限爆弾とか。
 啓の頭の中で即座に数種類の雪崩を起こせそうな道具が思い浮かぶ。小指王子は納得しきれていない表情でもぐもぐと口を動かす。
 「あの男がわざわざですか?」
 「まぁ、直接手を下さない男ではある。」
 クライドが頷く。
 「けど啓はアイツから見りゃ最大の邪魔者だ。自分で消そうとしたっておかしくないだろ。実際この前も自分で来たしな。」
 「あれは時間稼ぎですよ。」
 小指王子が断言した。
 「自分で『起こしちゃったんだもーん。』とか言ってたからね。私も時間稼ぎだったんだと思うよ。あの熊も。」
 利用されてたんだ。本当に卑怯なヤツ。許せない。
 「私の考えすぎ、だと良いんですけどねぇ…。」
 「?」
 それっきり、小指王子は黙ってしまった。

 □□□

 「小指王国はわりと均等に配置されているのでそろそろ到着しても良い頃だと思うのですが…。」
 小指王子が啓の肩の上に立ち、辺りを見回す。
 「見当たりませんなぁ。」
 テンキチはそれ以上進むのを嫌がるかのように、先に進もうとしない。
 ―――やはり、この先には何かあるのか?
 もわり、と青色の煙が立ち昇り、青色の髪色の男がのっしりと立っていた。
 えぇと、確か…。
 「ミッキー…?」
 啓の頭中にあるミッキーの絵と相容れないのだが、仏頂面の男は無言で頷いた。クライドが予備のコートを放る。いそいそとミッキ―はそれを着用した。
 「何か用か?」
 啓は内心はらり、と涙を流す。
 ミッキ―ってのは大きな黒い耳と目が特徴的で、『ハロー、僕ミッキ―!』という物だ。『何か用か?』とは絶対に言わない。
 「第3中継所を探して欲しくてさ。見つからねーんだわ。テンキチも様子がおかしい。」
 「了解した。…アドでなくて良いのか?」
 ちらっとクライドは啓を見た。
 「?」
 「いや、たまには良いだろ。ケイにはアド以外とも親しくなってて欲しいしな。」
 「うん、私も他のメシャルと仲良く慣れると嬉しいよ。よろしく、ミッキ―。」
 「よろしく。」
 ビシッとミッキ―が手を差し出すので啓はそれを握った。ニコッと笑いかけると彼の頬がポッと赤く染まった。
 ―――なんか、カワイイ…かも。
 啓もつられてちょっと照れる。
 「さて、挨拶も終わった所で、探そうぜ。」
 クライドの声を合図に4人は分かれた。小指王子はテンキチに乗っていた。

 □□□

 「…見当たんないなぁ…。」
 啓は辺りを見渡して旗を探すのだが、全く見つからない。すっきりと晴れて、視界良好なのにもかかわらず、だ。ふと遠くを歩いているミッキ―を見る。
 ―――すっごい真剣だなぁ。って、そりゃそうか。
 クライドの分身といったらアドとアンブローズぐらいとしかまともに行動を共にしたことが無かったのでとても新鮮で、それが嬉しい。
 ―――あぁ、でもヴィルジールとかドニともけっこう話したかな…。
 啓がそう思った時だった。
 「…っ!」
 咄嗟のことに声が出なかった。雪に足を滑らせて体が沈み込む。足が地を踏んでいない。落ち着け、落ち着け、と言い聞かせる。啓は先程まで歩いていた地面に手をかけて、ぶら下がっていた。
 ―――クレバス…だよね。
 地面の裂け目、クレバス。第2中継所を出発する時に注意されていたものだった。
 「…こんなっ突然に、あるものなのね…。」
 早く助けを呼ばないと。
 「たすっ…」
 しかし、ぐっと言葉を飲み込む。
 『雪山で怒鳴りは禁物。』
 憎らしいヴェノスの言葉を思い出したからだ。
 ―――やばっ、これって何気に絶体絶命?
 足を動かして、どこかに引っ掛けようとするが、手が滑りそうになったのでやめた。今、啓の体を支えているのは右手の指だ。それが離れたらまっさかさまに落下する。
 いやだ、こんな所で人生を終えるなんて冗談じゃない。絶対イヤだ。自滅なんて。ヤダヤダ。何のために今まで頑張ってきたのよ。ここで落ちるためじゃないんだから。
 こうなったら、叫んでしまうか。
 と啓が腹に力をこめた時、サクッサクッと足音が聞こえた。
 「ケイ…?もしかして落ちたのか?」
 ミッキーだった。
 「ミッキー。」
 クレバスの裂け目をまじまじと覗き込むミッキ―が視界の端に映り、啓は彼に呼びかけた。ミッキ―はすぐに気付いて、側によると啓を引き上げる。
 「大丈夫か?」
 啓は頷いてかじかんだ右手の指に息を吐きかける。
 「視界から消えたから驚いた。」
 「うん。私もこんなに突然クレバスがあると思ってなくて…ごめんね。注意足りてなかった。」
 完全にこの雪山舐めきってた。啓は内心反省する。今更になってじっとりと啓は汗をかいた。コートの中が湿っぽい。ミッキーは啓の手をそっと握った。そして立ち上がらせる。
 「一緒に探した方が良い。安全だ。」
 わっ、わわわわ!
 ミッキーの上気した顔を見て啓は俯く。
 お、落ち着くのよ。これははは、安全のために繋いでる手なんだから。さっき握手もしたんだから!なんてことないんだから!ミッキー、なんだか君と一緒に居ると照れるぞ!
 いや、照れない!これは照れ、ではない!緊張感を持って!そう、緊張感を!ココは大氷山なの!その辺の雪野原じゃないんだからね!

 体の汗が一瞬にして別種の物と変わる。

 「やれやれ。」

 テンキチの上でその様子を見ていた小指王子は頬杖をついてニヤリと笑った。



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