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コンは未だ軽い足取りで前を進んでいる。
「…ねぇ、クライド。もう、どれぐらい歩いたかな?」
「軽く4、5時間は歩いてるぞ。」
昨日一日歩き通しで、途中自分達で鎌倉を作って眠り、そして今日も歩きつづけている啓の足は既に限界だった。
「ただの救世主様!お気を確かに!目的地があるだけマシですよ!」
「小指王子は良いよね。座ってるだけで良くてさ。」
「…休憩すっか?」
「ごめん、そうしてもらえる?」
クライドが前方を行くコンを呼び戻す。2人で辺りを見渡し、休めそうな所を探したが、雪の斜面以外に何も無い。吹雪も相変わらずだった。
「…しかたねぇ。背負ってやるよ。」
「いい、それなら歩く。」
「バーカ。ちゃんと分身すっから。」
ゆらり、とアドリアーノが姿を現す。
「 やっほー。」
「アド、これコートだ。着ろよ。んで、啓を背負ってやってくれ。」
クライドから予備のコートを受け取り、アドはそれを着用した。
「あー…あったかいね。ケイ、おいで。」
「ただの救世主様!今は意地を張ってる場合では御座いませんぞ!夜になったらもっと吹雪いてくるのです!今のうちに進んでおかなければ!」
「アド、無理しないでね。しんどくなったらすぐ降ろしてくれて構わないから…。」
啓は渋々藍色の髪を持つ青年に背負われた。
「平気?」
「全然大丈夫だよ。行こうか、クライド。」
「そうだな。」
4人はひたすら進む。
「…ただの救世主様。」
啓の肩に座っている小指王子が急に立ち上がった。
「どうかした?」
「今、何か居ませんでしたか?」
「…怖いこと言わないでよ。何も見えなかったけど。」
「そう、ですか?確かに熊が見えたのですが…。」
「そこまでハッキリ見えたならすぐ言いなさいよ!そんなの見間違うわけないでしょ!」
「ですよねー。」
啓はアドに話し掛ける。
「ねぇ、熊が居た、って。」
「あー…さっきから居るんだよね。なんかいっぱい。囲まれてるよ。」
「けど、別に何をしてくるわけでもないしな。」
呑気な2人である。
「夜襲を企んでいるのではないですか?」
その小指王子の言葉に全員が沈黙した。アドが沈黙を破って笑う。
「まさかー。熊がそこまでしますか?」
「飢えてたらするかもな。」
「ヴェノスに操られてる、とかは?」
「あー、その線大きいですね。大氷山に熊は居ないはずですから。」
「…そういうことは、先に言おうね。小指王子。」
クライドとアドが視線を交えた。アドが嘆息する。
「仕方ないなぁ。…殺っちゃう?」
「ついでに今日の晩餐ゲットですよ!」
小指王子は元気良く答えた。
「待って、待ってよ!ヴェノスに操られてる核の熊1体を倒すだけで充分よね!」
「そう上手くことが運べば良いけどね…。」
アドが啓を地に降ろす。啓も自分の剣の柄に手を掛けた。
「2人でいけるか?」
剣を抜いて薄く笑い、クライドが尋ねる。アドが微笑んだ。
「当然。」
2人は逆方向に駆け出した。姿はすぐに吹雪にかき消された。
□□□
「小指王子、振り落とされたくなかったらポケットに入ってな。」
「…え?」
―――私に向けて殺気が放たれている。
「この感じはけっこう久しぶり。相変わらず、良い気持ちがしない。」
啓はフードを外した。
―――『目で見てから動くと遅れる。体で感じるんだよ。どんなヤツでも殺気は放つ。それをどれだけ押し留められるかが、勝負の分かれ目だよ。』
啓は息を吸った。そして、ゆっくりと吐く。
―――『落ち着きな、救世主。頭真っ白じゃ、負けるよ。』
「ごめん。」
柄を握る手に力をこめた。一気に抜刀して右側から襲い掛かってきた熊を斬りつける。熊が一瞬ひるんだ隙に前後の足を斬りつけた。甲高い声を発して熊が倒れる。そして、何度も立ち上がろうともがいていたが、その度に倒れる。勝負はついていた。
「倒したのですか!強いじゃないですか!ただの救世主様!」
ポケットの中から小指王子の声が聞こえた。
「私は、強くない。腕も悪いし、腕力もない。救いは、持久力と、反射神経が良いってことだけ。」
「それだけでも立派なものです。」
「……。」
―――来るか?
依然として殺気は感じる。
「…あ、」
この変な感じ。殺気は放っているのに、踏み切れないでいるのか。…違う。これは、クリスティアナさんと同じ感じだ。核かも知れない。
どうする?私から行くか?来るのを待つか?
迷いが隙を生んだ。突如背後で雪を踏むギュッという音がした。
「―――!」
しまった!!
間一髪のところで受け止める。剣のぶつかる金属音がした。
「え…?」
受け止めておいて啓自身が驚いた。
「あなた誰…?」
黒い短髪の髪、白い肌に焼き付けてある頬の刺青、漆黒のコート。
「ふーん。まずまずだなぁ。でもまぁ女でこれなら十分か…。やっとここまで来たんだね、啓。」
青と紫のオッドアイが笑っているように細められる。啓の背中が粟立った。その男の声は大声でもないのによく聞こえる。
「元気?」
「アンタ、誰よ!どうして私の名前知ってんの!」
「威勢良いねぇ。それぐらいじゃないとコッチもやってらんないからさ。面白くないし。」
啓のポケットがもぞりと動いた。
「この声は…目を見てはいけません!!ケイ様!!」
小指王子のキンキン声があたりに響いた。何事か、と啓は思わずポケットを見る。
「ヴェノス・ニックタール!!汚らわしい!クライド様!早く来てくだされ!」
その言葉に啓は思考がぶっ飛んだ。
「コイツが本物のヴェノス・ニックタール…?」
殺されますー!!と小指王子はキンキン声で叫びつづける。啓は視線を戻そうとして、やめた。
―――『目を見てはいけません!』
仕方がないので目の前の男の懐を見つめる。
「小指王子かぁ。まさかついて来てるとはねぇ…。ハハッ、ばれちゃった。」
「……。」
啓は気の効いた言葉の出てこない自分が憎かった。全てはこの男が元凶なのだ。怒りで体が震えてくる。
「プルプルしてるよ、啓。筋肉、限界?」
「……。」
「どうでも良いけどね。まぁ、じゃあここは退散しようかな。メシャルも来ちゃったみたいだし。」
ヴェノスがそう言って剣を納め、シルクハットを被った。それと同時に吹雪の中からクライドが姿を現す。
「お前っ!」
「やあ。久しぶり、メシャル。」
突然フッと横から気配を感じさせずに剣が飛び出てきた。
「おわぁっ!!…あっぶなー。分身かぁ…。」
寸前のところでヴェノスはそれを避けた。
―――私は、反応できなかった。
目の前の剣が引かれると、啓はぐいっと体を後ろに引かれた。すっぽりとアドの腕の中に治まる。
「大丈夫?」
「…うん。」
両手を上げてヴェノスは苦笑した。
「あー、何気に挟み撃ち?参ったな。…と言うかそんなことしてて良いのかな?」
「?」
「小指王子ぃ、良いこと教えてやるよ。雪山で怒鳴りは禁物。…耳を澄ましてごらん。」
吹雪とは違った地響きのような音が聞こえる。
「何これ、どんどん近づいてくる。」
ヴェノスがそんな啓を見て大声で笑った。
「先が思いやられるね!…今回は特別大奉仕。これは雪崩って言うんですよ、救世主サン。」
「!」
「そんな、こんな低い所で起こるはずが…」
「だって起こしちゃったんだもん。」
悪びれた風もなくヴェノスが言った。
「殺す気?!」
「ったり前だよ。俺はさぁ、敵なんだよな。敵ってこういう卑怯なことするだろ?」
「…逃げなきゃ。」
啓の呟きにヴェノスはニッコリと笑う。
「そうだね、大正解。トリジュの精鋭は雪崩って物がよくわかってないみたいだな。どうする?木もない。岩もない。広大な雪野原!それからこの視界の悪さ!生き残ってみてよ、救世主サン。」
「そうね…でも旗は見えたわ。」
ヴェノスの笑みが深まる。
「雪崩とダッシュ、どっちが速いかな?…僕は観察させてもらうよ。」
シルクハットから黒い風船を取り出し、膨らませた。一息入れただけで見る見るうちに膨らみ、上昇していく。
「啓、ガンバレー。」
「ヴェノス!」
追おうとしたクライドを啓が制す。
「ダメ、クライド!今は村に行く方が先!走るわよ!」
「走るって、」
「死にたいの?!急いで!」
啓はクライドを待たずに走り出す。
「おい!啓!なんでだよ、せっかくヴェノスが…チャンスなんだぞ!これを逃したら、」
すぐに追い付いてきたクライドが苛立ったように言いかけ、言葉を途切れさせた。
「なんか、さっきの音、やばい音量になってねー?」
「雪崩の意味わかってんの?雪が崩れてくるのよ?!」
小指王子も怒鳴る。
「クライド様に雪の大津波の中で踏ん張れる自信があるのでしたらごゆるりとド―ゾ!」
「雪の大津波…か。フワフワしてんのか?」
「あっ!コンの声が聞こえるわ!やっぱりさっきのは見間違いじゃなかった!」
ヴェノスの懐を見ていたとき、視界の端を赤がよぎったのだ。
―――赤い、旗が。
「お急ぎくださいー!!すぐそこまでやって来ておりますー!」
赤い三角帽子の小指族が飛び跳ねて声を上げている。
「あそこ!!」
啓の体がふわりと持ち上がる。
「僕が走った方が速い。…クライド、変な顔してるけど雪崩って物がなんなのか僕、わかったよ。」
アドリアーノが背後から啓を抱き上げた。
「なんだと?!」
「見てごらんよ。」
幾分マシになっている吹雪の中、クライドは見た。
「―――あれはマズイ!」
意見を180度切り替えて、我先にと走る。
「来る来る来る来るー!」
地面の扉は開かれていた。
「早くお入りくださいー!!」
「今行くー!!」
赤い三角帽子は「待ちきれません―!」と叫んで先に穴の中に消えた。コンも中に入る。続いてアドと啓、小指王子が飛び込んだ。
「クライド、急いで!」
「わかってら!」
クライドも続いて穴に入る。
「ふぅ、良かった。間にあっ」
「蓋閉めろ蓋ー!!!」
安心をして出したクライドの声に啓の怒声が重なる。クライドはハッとした顔をして急いで蓋に手を掛けた。しかし、彼は見てしまった。
「う、わ!!」
目前に迫る雪崩を。体が硬直していしまっている。
「閉めろって言ってるだろ!!」
アドと啓で蓋を掴んだまま固まってしまったクライドごと、蓋を引き降ろした。少量入り込んだ雪が頭の上に積もった。
「ヒュ―…まさに、危機一髪ってやつですね。」
「ですねぇ。」
赤い三角帽子の3人とアドリアーノが気の抜けた声で言葉を交わした。
□□□
「あーあ、間に合ったな。もうちょい時間稼ぎしとくべきだったか…。」
シルクハットに積もった雪をはたきながらヴェノスは「ふー。」と息を吐く。彼の周りだけ、なぜか吹雪がやんでいた。望遠鏡を懐に閉まう。
「まぁ、それも良いか。」
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