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旅立ち(4)




 啓は恐る恐る目を開いた。
 「あ、れ?……ミランダは?ここどこ?」
 しゃがみこんでいる自分の目の前には10歳ほどの少年が仁王立ちしている。何様のつもりなんだろうかと啓は思った。しかし、声にはせずに無言で少年を見上げる。
 『久々にミランダが呼ぶさかいにどんな気骨のある奴かと思ったらこんな女かい。』
 思い切り「気に食わない」という顔をして少年はまじまじと啓を見つめる。どうやら目の前の小生意気なガキはミランダと関係があるらしい。
 『で?』
 「……はい?」
 少年の何かを促すような態度に啓は首を傾げた。
 『何が……はい?やねん!!ふざけてんのか!何が望みやねん、さっさと言えや!!』
 少年がその場で地団太を踏んだ。どうやらそうとう気が短いようだ。
 望み?
 少し考えてやっと啓は合点がいった。なるほど、そういうことか。
 「私は分身した人たちを取り込むことができる体が欲しい。」
 少年はへぇ、と呟き、面白そうに私を見下ろした。
 『お前、そんな体になってどうする気だ?お前のそんな紙みたいなペラペラの体で旅していけるとでも思ってんのかよ。』
 「私はもう決めた。」
 少年が意地悪く笑った。

 『俺ならお前を今すぐ元の世界へ帰してやれるで?』

 少年がパチンと指を鳴らした。啓と少年の間に天秤が現れる。右には見たこともない虹色の球体、そして左には見慣れた青い球体が乗っかっている。
 ―――地球……。
 カクンと天秤が地球の方に傾く。
 『こっちがお前の居た世界。』
 今度はスルスルと地球が上がっていき、虹色の球体が下がった。
 『こっちが今居る世界。』
 啓の目の前でぐらぐらと天秤が落ち着きなく動く。右が上がると左が落ちる。左が上がると右が落ちる。
 「今すぐ元の世界に……―――。」
 本当だろうか。
 ガタン、と音をたてて地球が下がった。少年の指が地球を上から抑えている。
 『家族とか友達とかと会いたいやろ?あっちの世界でやりたいこともあるやろ?』
 ―――それは、もちろんだ。
 『わざわざしんどい道を進んでいく必要ないやんか。他人は他人やろ?ピースが砕けたのは運が悪かったんや。仕方がない。諦めてもらえばええやんか。なぁ?』
 「でも、放っておいたら全世界が消滅する。それにどのみち私が最初に被害に遭うのよ。」
 少年は苦笑した。
 『お前が生きてるうちはブラックホール成長せんかもしれんで?案外ずーっと先の話かもしれん。お前は今帰れば人生をまっとうできる。望みどおり悟ったババアになれる。息子や孫に囲まれて死ねる。どうや?』
 少年が地球から指を離す。天秤は啓の心の中を表しているかのように頼りなく揺れた。
 ―――魅力的な提案だな。
 啓は微笑んだ。
 ―――だが、
 地球をピンと指で弾く。
 天秤から転がり落ちた地球は地面をコロコロと転がっていく。
 「そんなこと、本当はできないんだろう?」
 少年は無表情で啓を見つめている。啓と目が合っているはずなのに全く感情が表れていない。
 「さっき、ミランダは空間を移動させること『以外』なら、って言ってた。」
 カチャン、と軽い音をたてて天秤が右に傾いて止まった。
 「それに……」
 啓は虹色の球体を手にとる。ぎゅっと握り締めた。
 「私は今を楽しむ派じゃなくて、先のことまで良く考えて今を生きる派なのよ。あと心配性なの。ビクビクしながら生きるなんてできそうにないわ。さっきもミランダに言ったんだけど、断れないじゃない。これ、逃げ道無いもの。思い切りも時には大切よね。私、覚悟はしてるの。」
 だから残念だけどそのお誘いには乗れない、という啓の返事を聞いて少年はがっかりしたように肩を落とした。と思ったら肩が小刻みに震えている。笑っているようだ。  『気に入った。』
 少年はそう言うと天秤に乗った虹色の球を掴んだ。
 『望み通り分身を取りつかせる体をやろう。オマケつきだ。』
 そう言ってその球を啓の左胸に突っ込んだ。少年の腕が啓の体に突き刺さる。
 「せ……」
 なんて事をしてくれるんだ!
 「セクハラ―――――!」

 ビクッと反応し目が覚めた。
 「大丈夫か?」
 心配そうな顔をしたミランダが覗き込んでいる。
 「胸がっ」
 啓はそう叫ぶなり勢いよく起き上がって自分の左胸に手を当てた。
 「……胸?」
 ミランダが怪訝そうな顔をして啓を見つめる。
 「夢、だったの。」
 啓はなんともなっていない自分の左胸を見て安堵の息を吐いた。
 「無事に力をもらえたみたいだな。シャルは口が悪かっただろ。」
 「……シャル?」
 おうむ返しに尋ねる。
 「俺の守護霊。」
 「守護霊ってあの小生意気なガキのこと?それなら会ったけど。……夢じゃなかったの?」
 ミランダが声を立てて笑う。
 「本当、小生意気なガキだよなぁ。俺もそう思う。アイツと契約しなきゃならねーって知った時は先行きが不安になったからなぁ。……夢?夢じゃねぇよ。―――ほら。」
 ミランダがシャルという精霊と同じようにパチンと指を鳴らす。
 「だーれが小生意気なガキやって?てめぇ、人に力与えて貰っときながらよぉ言うわ。」
 ミランダの背後からぬっと少年が姿を現した。
 「お、お前!」
 啓は思わず後退し指を指した。
 「お前だぁ?・・・まったく、信じらんねぇ。」
 けっと言ってシャルはそっぽを向く。
 「シャル、ちゃんと能力の説明してやったんだろうな。」
 ミランダの問いかけにシャルはぎくりと反応した。
 能力の説明?まったく聞いていないんだけど。
 「デコ!」
 急にシャルが啓に向かって怒鳴る。反応して思わず啓は自分の額を抑える。
 「それから両肩!両手の甲!両足の付け根!」
 「え?え?」
 啓は意味がわからず戸惑い、馬鹿みたいに言われた所に手を当てた。
 「今言った場所に分身を取り込む空間を作ってやった。」
 「……空間?ありそうに無いんだけど。広がったり大きくなったりもしてないし。」
 「あるの!分身に近づくと印が現れて熱くなる。取り込んだら印が刻み込まれる。ついでに体も強化しといた。」
 「あ、ありがとう……。」
 これでええんやろ、とミランダを見上げてシャルは怒鳴った。ミランダは頷く。そして懐から皮袋と短剣を取り出した。
 「これは金だ。これから必要だ。なくすなよ。それからこっちは何かあった時のために。・・・此処は決して安全な所じゃない。獣もたくさん居る。自分の身は自分で守らなければならねぇ。わかるな?」
 啓は深く頷いてそれらを受け取った。
 「まず初めに服屋へ行ったほうが良い。その服装は目立つ。」
 「わかった。」
 「それじゃあ、これでお別れだ。」
 あっさりとミランダはそう言いきった。啓の顔が少し強張る。
 「また、会えるの?」
 「たぶんな。」
 「……そう。」
 啓はニッコリ笑った。
 「なんとかしてみせるわ。」
 ミランダも微笑んだ。
 「服屋へ行った後はレヴィオスの所へいけ。俺と同じ空間師だ。」
 「レヴィオスさん……。」
   頭の中にその名を刻み込んだ。
 「天性の博打好きだ。町から町へ放浪してやがる。だが、この世界からはなかなか出ようとしねぇ。ソイツの能力なら分身がどこに飛び散ってるのか分かるはずだ。」
 「オッケー。それで、その人の居場所は」
 言いかけた啓の言葉にミランダの別れの言葉が重なった。
 「じゃな。」
 パチン、と彼は消えた。



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