[↑]
「何もねーじゃん。」
クライドの言葉通り、案内された部屋には何も無かった。本棚も机も椅子も窓も何も無い。明かりも無い。床も天井も壁も真っ白で、それがかえって虚しさを助長している。
レヴィオスが扉を閉めると何も見えなくなった。
「ちょっと、レヴィオス、暗すぎるんじゃないの?」
「…明るくても困るからねー…。」
「?」
「2人ともさ、目を瞑ってしゃがんでた方が良いよ…。」
疑問に思いつつも言われた通りに腰をおろす。突然、ドンッと大きな音が鳴り、地面がぐらぐらと揺れ出した。
「な…ななな、なに、これ!」
「もうすぐしたら収まるから…。」
揺れは段々弱くなっていき、止まった。
「もう良いよ。」
言われて目を開けた。
「まだ何も見えないんだけど…?」
依然として暗いままだった。しかしその質問には答えが返ってこず、しゃがんだ啓の頭上から呪文のような声が聞こえる。その声が止まった途端、突然周りが光で包まれた。
「うわっ!」
あまりの光の強さに啓はきつく目を瞑る。
「…大丈夫だよ、ケイ。目を開けて…。」
恐る恐る瞼を持ち上げると、真っ暗だった部屋にポツリ、ポツリと仄かな明かりが灯っている。眩しかったのは初めだけだった。
「すごい量…あの光ってるのって何?」
「ピンだよ。」
―――ピン?
ピンの放つ光でぼんやりと浮かび上がったレヴィオスが啓の足元を指差す。
「…押しピン…・?」
押しピンだった。反射的に抜いてみようとした啓の手をレヴィオスが掴む。
「絶対に…抜いちゃダメだよ…。」
「あ、ごめん。」
慌てて手を引っ込める。
「なぁなぁ、これ、床になんか書いてあるんじゃねー?」
クライドの言葉に啓も床を見つめた。
「…あ、本当だ。これ、何?」
「地図だよ…これはパズルの縮小版。描いてある文字は人の名前。小さすぎて、読めないけどね。」
「じゃあ、このピンはなんだ?」
「飛び散ったピースだよ。…思った以上に多いね…。」
「これ全部ピースなの?」
「…うん。正確には破片とでも言えばいいのかな。ミランダから教えてもらったでしょ。……ちょっと待ってて。今、僕達のピースを探すから…。」
レヴィオスはそう言うと床に両手を当ててじっと動かなくなった。啓とクライドはその様子を見守る。
―――しっかし、本当に多いわ。
床にも天井にもたくさんピンが刺さっている。
「これ全部を集めて回れ、なんて言われたら絶対無理だったわね。」
「…違うのか?」
クライドが啓の呟きを聞き、尋ねてきた。
「もちろん違うわよ。こんなにたくさん、寿命が足りなくなっちゃう。私がミランダに取り込めるようにしてもらったのはあくまで分身の一体ずつのみ、よ。私以外の7人の分身を1人ずつ。それだけ。後はパズルに行って名前を呼べば飛んできてくれるらしい。」
「便利なんだな。」
啓と同じ感想である。やはり、どの人もそう思うらしい。
「あぁ、そう言えば、その『取り込む』ってのどうやるんだ?」
「…それが良くわからなくて。アドに初めて会った時もそれ聞かれたんだよね。って言うか、アドから報告受けてないの?」
「いや、だからさ、アイツ変な所でめんどくさがりなんだよな。俺が受け取った報告は救世主が来たって事と、お前の挿絵、それから俺達が分身で、近づいたら額がすっげー熱くなる、って事。そんだけだよ。それより、わからない、って大丈夫かよ?」
「レヴィオスに聞いたら分かるかな、って思ってたんだけど。」
「僕、知らないよ。」
レヴィオスは俯いていた顔を上げて、呆れたような顔をした。
「し、知らないの?」
―――困る!
困るよ。レヴィオスだけが最後の頼みの綱だったのに!
「知らない。知ってるわけ無いでしょ。ミランダしか知らないんじゃないの…?」
「そんな、だって、ミランダ別れるときにレヴィオスに会いに行けって言って…。」
「そんなこと言ったって…その時ミランダは僕が取り込み方知ってるとか言ったの?言ってないでしょ。」
啓は項垂れて頷いた。
「あのバカの頭からはきっとそのことが抜け落ちてたんだよ…。本当にバカだな…。」
―――まったく同感だよ!
そんな大切なこと、抜け落ちてもらっては困るんですけど!実際困ってるし!ミランダは不親切すぎるんだよ!私に教えてくれたことって「服買いに行って着替えろ」ってそれだけじゃん。自分で言うのもなんだけど良く生き延びてこられたよ。短剣の効果とかも教えてくれないし。バカだよ。バカ。
「ま、それは空間師長とかに聞けば何とかなるんじゃないの…?それに、万が一取り込めなくてもクライド置いてケイがほかの世界に行けば良いんだし…。」
耳を疑った。
「ちょっと待って、それは絶対イヤ。」
ありえない。即死する。あっさり殺されてしまう。
「…そうだろうね…。まぁ、そんなに心配しなくても何とかなるよ。空間師長の家は特別な空間にあるからどの世界にも繋がってるしね。それより、見つかったよ。こっち…。」
レヴィオスに導かれて部屋の隅まで移動する。
「これ。これが啓のピースでこっちがクライドの。ほら、ピンが刺さってるでしょ…。」
ゴマよりも小さいピースがある。確かにピンが刺さっていた。
「レヴィオスはこれが見えるの?」
「…見えない。こんな小さいの見れる人居ないよ。僕の能力で場所を割り出しただけ。この空間はいろいろ教えてくれるから。」
「この空間って、この部屋?」
「…そうだよ…。」
―――部屋と話してたのか…。
「この現在地から、1番近いピンは…」
レヴィオスは顔をしかめて黙り込んだ。
□□□
「…んー。」
レヴィオスの不景気な声。
「どうかしたの?」
「まぁ。ちょっと…あぁ、やっぱり。」
薄暗い立方体の部屋。その壁全面に描かれた地図。その中にたたずむ3人。
「これさー…。」
「ハッキリしろよ!」
業を煮やしたクライドが怒鳴る。その声がワンワンと木霊した。
「…ちょっとやめてくれないかな。怒鳴るの…今から説明するんだから。」
あさっての方向を見つめながらレヴィオスはぼやいた。
「…熱血って嫌だよね…。」
「俺は熱血じゃない。ノーマルだよ。」
「2人ともそこまでにして。レヴィオス、説明してよ。どうかしたの?」
「あー…うん。そこのピン、見える?」
すっと指し示された壁に淡い光を放つ押しピンが刺さっている。啓が近づいて突付いた。
「コレ?」
「…そう。」
レヴィオスも近づいてポツンとしたピンを見つめる。
「そのピンが何かまずいのか?」
一定の距離を保ちながらクライドが覗き込み、尋ねた。
「…ピンが悪いんじゃないよ…場所が悪いんだ。」
「じゃあ、他のピンの分身から集めれば良いんじゃないの?」
啓の言葉にレヴィオスは眉をひそめた。
「いやー…1番近い所のから集めるのがアタリマエでしょ…空間師長だって長時間君をパズルに留めておくことは危険だって言ってるしさー…。第一、イルゼだっていつまで持ち堪えられ るか…。そう考えると、コレが1番近いんだよ。」
「イルゼ?」
「ブラックホールが拡大しないように防いでる空間師だよ…。」
―――その人が持ち堪えられなくなったら…終わりなんだな。
3人を重苦しい空気が包む。
―――レヴィオスって暗いこと言ってる訳じゃないのにどうしてここまで空気を重くできるのかな…。
啓は今更ながら疑問に感じた。
「場所が悪いって具体的にどう悪いの?」
「違う能力者が居る…。」
「?」
「…『巫覡』が居る…。」
レヴィオスは頭を少し掻いた。どうしてこう運が悪いのかな…という独り言が聞こえた。
「ねぇ、その『フゲキ』って何?」
「…あのね予知能力があるの。…僕たち空間師と違って宇宙を移動することはできない。従ってパズルに入ることも不可能…だけど巫覡はなんでも知ってる。」
「…なんでも?」
「彼らは『アカシック・レコード』にアクセスできるみたいなんだ。良いよね…。」
ここで黙って聞いていたクライドが声を上げた。
「おいおいおい、今お前『アカシック・レコード』って言ったか?」
「…言ったよ。」
「それって『アカシャ記録』のことだろ。」
「…うん、そう。」
「クライド知ってるの?私は訳がわからない…。」
啓は戸惑って口を挟む。
アカシャ記録なんて聞いたことも無かった。
「アカシック・レコードってのはね…意識の世界に存在する歴史書だよ。」
ほんの少し目を輝かせてレヴィオスが説明を始めた。
「…意識の世界?」
「僕にも…その辺のことは良く分からない。行ったことも無いしね…。ただ実際にそういう所が存在して、そこにあるソレには全宇宙のこれまでに起こった事、これから起こる事、各人々の考えや行動の全てが保存されてるんだって…。」
「過去、現在、未来なんでも知ってるんだそうだ。実在するのかぁ。おとぎ話級のシロモノだろ。」
クライドが分かりやすく要約した。
「…私達は定められた通りに行動してるってこと?どこかに小説の主人公みたいに私のことが、心理描写まで細かく記されてるって、そういうこと?」
「…ケイにしては飲み込み早いね…そんな感じなんだと思うよ。巫覡はそれを読むことができる。」
「そんな人たちがいるなんて…」
―――プライバシーも何もあったもんじゃない…。
「あまり真剣に考えない方がいいよ。頭痛くなるし…。とにかく…ここには巫覡が居るんだ…。」
トントン、と人差し指でレヴィオスは壁を叩いた。何か考えているようだ。
「…あー、でも、…そっか。あぁ、良い事考えた…。」
何故かちっとも良いように聞こえない。何かたくらんでいるように聞こえる。
「巫覡は空間師みたいに人数は居ないって聞いたことがある。群れで暮らしてるんだって。…それにこの空間に送り込むことだけならできる…。」
「ど、どういう意味?」
「巫覡はパズルには干渉できない…。だったら一方的にこの世界にケイを送り付けることはできるはずだよ……。拒否不可能な贈り物、だね…。」
嬉しくねー!
「でもこのピンが刺さってる場所に直接送るのはちょっと…危険かもしれないな…。巫覡が僕たち空間師にどういった感情を持ってるかわからないし…ってこんな風に考えても無駄なのかな。アカシック・レコードがあるから…あぁもう…」
「レヴィオス…?」
トントンとリズム良かった人差し指の動きが止まり、レヴィオスは俯いた。心配して啓は覗き込むが、髪が邪魔をして表情が見えない。
「面倒だなー…。でもこのピンが刺さってるのはたぶん巫覡なんだよ…この嫌な感じ。んー…もうちょっとハッキリすれば良いんだけど、ムリめか。あー関らせたくないなぁ…けど、どのみち接触は避けられないか…。それに巫覡が本当に群れているならこのピンから距離を置いた所に送ればなんとかなるかも…。」
ブツブツ…と自分の世界に入ってしまったようである。啓は諦めて床に腰を下ろした。
―――それにしても、この空間は息が詰まるな…。
ぼんやりとそんなことを考える。
「決まったのか?」
暇そうに床に寝そべり、あくびを噛み殺してクライドが尋ねた。
「思ったんだけどさ…もう何でもいいよね。」
良くねーよ。と思いつつ無言で先を促す。
「到着した直後に巫覡に襲われることが無いように、念のため、このピンから距離を置いた所に送ることにした…。…読まれてるんだったら意味無いかもしれないけど…良い人達かもしれないし…うん。ケイ達は着いてから情報を集めて巫覡達を見つけてよ。それで分身をつれて来て。」
疑問だらけで、不安を募らせながら啓は尋ねた。
「今度は最終的にはどこに行けば良いの?」
どこか空間師長に通じる場所があるはずだ。そこにたどり着かないことにはその世界から出ることができない。
「…知らないの?空間師長はその世界で一番高い所に住んでるんだよ。」
レヴィオスの長い指が壁を彷徨う。
「あぁ…ここだ。大きな塔だよ。大氷山よりはマシみたいだけど…気を付けてね…。」
「…え?あ、うん。ありがとう心配してくれて。」
ぼやきかと思い、聞き逃す所であった。
「ってかさー、空間師長は知らねーの?その巫覡とかいう能力者のこと。」
「…師長は飛び回ることは無いからね…。会ったことは無いと思うよ。…わかっておかないとダメなのは、それぞれの世界で空間師の待遇は違うんだってこと。『空間師』っていう存在が認められていない、信じられていない、もっと言えば知られていない世界だってあるんだ…。そういうところではその考えに習って僕たちは隠れたり、本性を偽ったりする…。ケイの世界も、そうだよね…。」
啓は無言で頷いた。
「へぇー…。俺たちの世界じゃ直接の関わりは無くても空間師のことは知ってるもんだけどなぁ。」
クライドの言葉にレヴィオスは苦笑した。
「それはこの世界が空間師の生まれる場所だから…。空間師の本拠地だから。ここまで認められている世界は他に無いよ…。だから、ケイも迂闊に『空間師』って言う名前を出すことは控えた方が良い…。」
「うん。特に次の世界では言わない方が良いね。」
レヴィオスは頷くと部屋を見渡した。
「それにしても多いねぇ…分身。こんなにこの部屋が明るくなるのは初めてだよ…。うん、でも、やっぱりどのピンもかなり発光してるよね…」
「それがどうかしたの?」
「…能力者とか変わった力を持つ人とかは光が強いんだ。ということは…強い力を持つ人にピースは吸い寄せられたのかもしれないね…推測だけど…現にクライドも異端だし…。そう考えればケイがこの世界に飛ばされたことも説明がつくよ。空間師がけっこう居るからね。ケイは完全なピースだから空間そのものが放つ力に引き寄せられたのかも…。」
「よくわからないけど、なんにせよ、ラッキーよね。」
「…ケイにしては…ね。」
微笑を浮かべてレヴィオスがクライドに視線をやる。
「出ようか…。先を急がないと。名前も位置もメモしたから…」
いつのまに書いたのかレヴィオスがヒラヒラと振っている紙には6人の分身の名前と場所が書き込まれていた。
「必要なことは全部ここに書いておいたから。なくさないようにね…。パズルに居る空間師に見せれば分かってもらえるから。その分身の所まで案内してくれるよ…たぶん。」
「うん、何から何までありがとう。やっと手掛かりが掴めたって感じ。」
啓はレヴィオスから紙を受け取り、なくさないように服に縫い付ける作業に取り掛かる。
「ふん、相変らず仕事も遅いんだな。」
ザイザックの憎まれ口にレヴィオスは微笑で返す。
「少し、面倒なことがあったんだよ…それに久しぶりだったからね。あの部屋に入るのは…。」
「本の虫め。」
「誉め言葉をありがとう…万年病人男。」
啓の縫い終わるのと同時にザイザックは手に風を宿した。
閉め切っているはずの部屋に風が巻き起こり、天井のランプの炎が頼りなくたゆたう。その場に存在するものの影が同じように揺れる。机の上に置いてあった本がものすごい勢いでページをめくられていく。バサバサというその音が妙に寂しかった。
「救世主殿、行くぞ。」
「え、もう?」
「頑張ってね、ケイ…。」
ぽん、と背中を押されて1歩前に出る。そのケイの腕をクライドが掴んで引き寄せた。風が3人を包んでいく。
「レヴィオス、さようなら、ありがとう!」
彼の小さな丸眼鏡越しに目が合った。
次の瞬間、啓たちの体はすっぽりと風に覆われその場から消えうせた。
□□□
「……砕け散ったピースは、力の強い人間の中に溶け込んで辛うじて存在してるわけ、か。なるほどねぇ。…納得だ。でも、それだったら…」
レヴィオスは傍の椅子に腰掛ける。そしてぼんやりとランプの炎を見つめた。それから何を思ったか再び先ほどの部屋に向かっていった。
BACK TOP NEXT
[↑]