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それから後、トリジュの軍は里に戻ってきた。出迎えたラリサさんは長から事情を聞いて卒倒してしまった。アイーダ達は自分たちの里に帰る支度をしている。
啓は、というとシュバルツの病院で正座させられていた。
「何でお前達がまだここに居るんだ?!」
イリドの怒鳴り声に啓は縮こまる。
「いやぁ、やっぱり里のことが気になってさ。」
クライドが距離を置いたところで正座しながら答える。
「別れの言葉も言ったのに…!」
「ごめんごめん。」
じとり、とイリドが啓をにらむ。啓も慌てて言い添えた。
「ごめんなさい!」
イリドが盛大に溜め息をついた。
「無茶して…無事で良かった。アデライーデ様のことも、…ありがとうね。バージュラスの里に居るのなら安心だ。」
「うん。何かお返しがしたいと思ってたから私が力になれて良かった。それに、本当の戦場の空気がわかって勉強になったし。ヴェノスとも話して、どんな人か少しわかったし。」
最低なヤツだった。最低に輪をかけて最低なヤツだった。
「ケイ殿。」
突然背後から声がかかる。扉を開けて中に入ってきたのはデジレだ。
「あ、ラリサさんはどうですか?」
長は苦笑する。
「心配いらん。時間がなんとかしてくれるだろう。アデライーデが一刻も早く帰ってこられるように、こちらも全力でサポートする。」
「そんなに帰ってきて欲しいならなんであんな罰を与えたんだよ。」
クライドが不思議そうに尋ねた。
「誰も罰しないわけにはいかないだろう。兵は命がけで戦っていた。戦死者ももちろん居る。それなのに、事件は解決しました、やっぱりヴェノスが犯人でした。以上。ってれじゃあ納得できないだろう。それに、操られた本人達にだって責任は在る。バージュラスの里では全員が操られている時の記憶が抜け落ちている。トリジュへの報復の意見も出たようだが、女王が説明して大方は納得したようだ。」
「大方は、な。」
「不満が残るのは当然だ。その辺は女王とアデライーデがこれから解決していかなければならない。」
「…クリスティアナの処刑の話は出てないのか?」
長は首を振った。
「それは俺も危惧していたが幸いなことに出ていない。女王は自分も里の者達と同様に操られていて記憶があまり無いと説明したようだ。嘘ではないが、2大美女その他諸々の部分は言っていないらしい。アデライーデに関しては里復興のためにトリジュから送られた使節、ということにしてある。里の者たちは空間師についてよくわかっていないから、それでほとんどはうまくいった。話を合わせるためにトリジュの者達にもそのように伝えたしな。」
啓の隣に長がどっかりと座った。
―――嘘も方便ってやつだな。アデライーデさんもその方が安全に向こうで生活できるだろうし…。
「しっかし、身内だとやはり視野が狭くなるな。軽い刑ではいけないと思って下した決断だったが…こうなってみて思い返すと、あれは少し厳しすぎたか。」
「いや、良かっただろ。」
「…さっさとアデライーデをこの里に戻してやってくれ、可哀相だ、どうして彼女が使節なんだ、とかいう意見がいっぱい寄せられているぞ。」
「面倒だなぁ。長なんか辞めちまえば良いのによ。部下の方が楽だ。」
長は笑った。
「俺のことを長だと言ってついて来てくれるヤツが居るうちは頑張るさ。」
クライドが苦い顔をする。
「それより、長。何か用があったんじゃないんですか?」
シュバルツが尋ねた。
「あぁ、そうだった。…ケイ殿、この度のことは世話になったな。一族を代表して礼を言う。」
長は居住まいを正してその場に頭を下げた。
「えぇっ、頭を上げてください。」
慌てた啓の言葉に長は顔を上げた。
「私こそお世話になりました。そのお返しをしただけです。」
律儀に啓もその場で頭を下げる。ビリビリと足が痺れた。
「そのお礼として、ザイザックに今レヴィオスの居所を探させている。見つかり次第そこまで送らせよう。」
「送る?そんな、そこまでして頂かなくてもっ、結構です。地図を書いて頂ければ…。」
「お前、見れねーくせに。」
クライドのからかうような言葉に啓は頬を染めた。
「う、うるさいな!大丈夫だよ。」
長は笑いながら言った。
「心配はいらない。アイツの能力を使うから一瞬だ。」
「…能力って、ザイザックのですか?」
「もちろん、そうだ。」
―――そういえば、ザイザックの能力ってなんだったっけ…?
青白い顔の無愛想な空間師を思い浮かべる。接した時間も短く、とっつきにくい感じだったので接点があまり無かった。良く知らない人物だ。
「アイツは『風』と『通過』が能力だからな。本当なら初めからそうして差し上げたかったんだが、バージュラスのことがあったからできなかった。」
「風?」
「風を使って移動するんだよ。自分が移動する時に使ったり物体を移動させたり、何でもアリだ。ただ、他の世界には送れないけどね。」
イリドが補足説明をした。
「それって空間移動の能力って事ですか?」
ミランダがそれはできない、って言ってなかったっけ?
「あぁ、それは少し違う。『風』という自然現象を利用するからな。竜巻で遠くに飛ばされるのと同じ現象だ。自然の摂理、と見なされるらしい。」
「無茶苦茶だよねぇ。いつ聞いても屁理屈に聞こえるよ。」
啓も同感だった。
「しかも壁とか障害物は通り抜けられるようになるんだぜ。いつも最短距離で移動できる。それが『通過』だ。…ほら、俺とお前が会った日、アイツ消えただろ。あれだよ。」
「…便利。」
「その能力でレヴィオスの所まで送る。そして、その後に大氷山のふもとまで送らせて頂こうと思っているんだが、よろしいかな?他に寄らなければならない所はあるか?」
啓は首を振った。
「ありがとう御座います。」
「よし、決まりだ。それから」
長はごそごそと懐を探り、小さな巾着を取り出した。啓に手渡す。
「ラリサからだ。啓殿のこれからの旅の安全を願っていると言っていたぞ。」
啓が巾着を開けると中から水晶のような石が転がり出てきた。光を反射してキラキラと光る。
「うわぁ、綺麗…」
「結構な値がつく代物だ。それはきっとどの世界に行っても金に成るだろうから、と。」
旅に金は必需品だからな、と言って長は笑った。啓も微笑む。数度しか会ったことは無いが、現実的な彼女らしい贈り物だった。
「お礼を言っていたとお伝えください。」
ラリサは心労が酷く床から起き上がれないらしい。面会も気を使うから、と言って禁止されている。
「あぁ、わかった。」
長は立ち上がった。
「ではこれで失礼する。レヴィオスが見つかり次第連絡するからな。」
「はい。長も、無理なさらないように気をつけて下さい。休む時はドバッと休んでください。チマチマ休んでも疲れは取れませんから。」
啓の言葉に隣でシュバルツが深く頷いた。
□□□
それから1週間した頃だった。病院の調理室でスーザンと共にお菓子を作っていた啓の所に長の使いが駆け込んできた。
「レヴィオス様が見つかったそうです!至急出発の準備をするように、との仰せです!」
「至急、か。」
作りかけでねっとりベトベトの物体を啓は見つめる。
「ケイ、早く準備しなきゃ!お菓子はスーザンに任せて!」
少女はガッツポーズをして力こぶの無い二の腕を叩いた。
「ごめんね。」
啓は所々汚してしまったエプロンを外して、部屋に駆け込む。洗濯してあった服を着用して、短剣と細剣を腰に差し、鞄を引っつかんだ。たいした物は入っていない鞄だったが、この1週間いつ呼び出しがかかっても良いように、と何度も中は確認してある。
最後に、ラリサから貰った水晶の入った巾着が首にかかっているかを確認した。
「また、お別れか。」
この世界に来てから、たくさんの人に出会ってきた。たくさんたくさん、助けられてきた。でも、その分別れも多い。出会っては別れ、出会っては別れる。
「花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが、人生だ。」
ぽつり、と授業で習った言葉を呟いた。
「言えてるわ。」
啓は自分用にあてがわれた部屋をぐるりと眺め、ふ、と息を吐いた。そして、部屋を後にした。
□□□
病院の建物を出て、地に降りると既に下でクライドが待っていた。
「デジレが見送りしてくれるってよ。」
「そっか。この前はバタバタしてて見送ってもらえなかったから嬉しいね。」
「アイーダも一緒に出発するらしい。」
「そっか。」
相変わらず距離を取って歩きながら二人は言葉を交わす。長の家の下に到着すると見計らったように上からザイザックが降りてきた。
「レヴィオスは今賭博の真っ最中だ。同じ賭博場で三日三晩勝負するらしい。場所は近くも無いが、10分もあれば到着するだろう。」
「本当に博打好きなんだね。」
「そうだな。アイツは根っこの所から何か間違っているとしか考えられん。ラリサ様に頂いた水晶、けして見せてはダメですよ。」
「了解。」
「ケイ!」
途端に殺気を感じた。細剣を引き抜いて受け止める。
「合格だね。」
にやりと笑うのはイリドだった。後ろにシュバルツも居る。隣でクライドが溜め息をついた。
「本当にスパルタだよな、お前。」
「これぐらい、普通だよ。」
わしゃわしゃと啓の頭を撫でる。イリドとはこの一週間の間も特訓をした。すっかり打ち解けて啓は姉のように感じていた。イリドも「救世主」と呼んでいたのを今は「ケイ」に改めている。
「アイーダが来たね。」
向こうの方から長い髪をなびかせて大量のクモを従えた女性が歩いてくる。この景色に初めは戸惑っていたトリジュの人々も、もうすっかり慣れっこになっていた。
「揃ったかー?」
頭上で長が顔を覗かせた。
「待って待ってー!」
アイーダ達のさらに後ろをスーザンが駆けて来る。
「お菓子できたよー!」
「じゃあ、行くね。」
スーザンからお菓子を受け取り、啓はザイザックの側に寄った。アイーダが啓の頬を撫でて微笑む。
「負けるんじゃないよ。」
啓はその首に腕を巻きつけて抱きついた。
「うん。ありがとう。」
「頑張ってください!ケイ様!」
タロタスが人型化して啓を激励した。にっこり笑って深く頷く。蜘蛛の2人と入れ替わるようにしてイリドとシュバルツがやって来た。
「この短期間にあれだけ手当てした患者はあなたが初めてです。きっと忘れられないでしょうねぇ。」
シュバルツはそう言いながら啓の鞄の中に小瓶を滑り込ませた。
「傷薬です。血を止めて痛みを緩和します。きっと役に立ちますよ。」
「ありがとう。」
「それから、クライド。君が居ない間は僕が2番隊隊長らしいです。さっさと帰ってきてくださいね。医者でありながら軍人だなんて商売あがったりですから。」
「ハハッ、そりゃあ良いや。」
「良くねーよ。」
微笑みながら本性をチラリと垣間見せる。その肩をポンポンと叩いて宥めたのはイリドだ。そして啓に向き直って拳を出す。啓も拳を出して、コツン、とぶつけた。
「体に気をつけなよ。」
「うん、イリドも。元気でね。」
そして、啓は長を振り返った。彼はにっこりと笑顔を寄越す。啓も微笑んだ。
「ケイ!」
スーザンが足元にしがみ付く。
「スーザンのこと、忘れないでね!」
啓はかがんで視線を合わせ、小指を出した。
「?」
「私の世界では約束するとき小指をこうやって絡ませるの。」
スーザンの小指を自分の物に巻きつける。
「絶対忘れない。約束。」
「やくそく。」
スーザンに笑顔が戻った。
「友達にも教えてあげる。小指のやくそく。」
「スーザン、色々とありがとう。」
「うん。ケイもありがとう。」
「じゃあね。」
「うん。…バイバイ。」
ザイザックの周りに風が巻き起こった。ケイはその体にしがみ付く。
「そうやってしっかり捕まっていて下さい。」
「うん。」
妙な浮遊感と共に体が浮かび上がった。
「おぉっ!スゲー。」
クライドもザイザックの肩を掴んでいる。
「みんな!ありがとう!!絶対に忘れないから!!」
啓達を包んだ風は空高く舞い上がり、彼らの姿はパチンとシャボン玉のように弾けてかき消えた。
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