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昆虫の里(3)




 啓とアデライーデが中に入ると背後で扉が閉まった。密室になった空間に緊張が走る。
 ―――ずいぶん広い部屋だな…。
 薄暗い部屋の窓際に1人の女性が座っていた。啓は短剣を握る手に力をこめる。女性がじっと動かないためか、触覚が頼りなく揺れているのが無気味だった。
 「クリスティアナ…」
 啓と一緒に入ってきたアデライーデが声をかける。それに答えるように女性が振り返った。
 ―――綺麗な人…。
 歳をとった、と言うからどんなお婆さんだろうと想像していた啓は驚いた。
 人間に換算すると40代ぐらいだろうか。
 10代や20代の女性には無い妖艶さが漂っているように感じる。アデライーデにも引けを取らなかった。
 バージュラスの女王はふっと微笑んだ。
 「久しぶりね、アデライーデ。隣の子はお友達?また随分若いわね。」
 アデライーデは戸惑ったようにちらり、と啓を見た。啓も同じような心境である。
 ―――まともに会話が成立する…。
 それはやはりクリスティアナが核だということではないだろうか。それとも自力で催眠を解いた、とか…?
 「クリス、外で何が起きているかわかってる?」
 「もちろんよ。トリジュと私たちの戦争でしょう?ここから観ていたわ。」
 窓の外に目をやる。
 「この里もずいぶん暗くなったわね。ヴェノス様が早く世界を作り変えてくれれば良いのだけれど…。」
 まだ、操られてる…。
 啓は先程の希望的観測を否定した。
 「あなたの里の者達が戦っているのよ?こんな無駄な戦争で…。」
 「…無駄?」
 女王は窓から目を離してじっとアデライーデを見つめる。その瞳からは感情の揺れは感じ取れない。
 「何が無駄なの?これは未来への投資よ。」
 「投、資…?」
 クリスティアナの口が美しい弧を描く。
 「そう。未来で私たち一族が繁栄するように、短い命を捧げているの。私たちの仕事はあなたたちトリジュの一族を滅ぼすこと。あなた達から飛び込んできてくれて感謝しているわ。」
 アデライーデが唇を噛み締めた。
 「あなたの家族はどうしているの?結婚して子供もできたと聞いたけれど。」
 「夫は地下牢に繋いであるわ。」
 「…え?」
 地下牢?
 「閉じ込めているわけじゃないのよ。器具が揃っているのが地下牢だから。」
 「器具?」
 「そう。毒を抽出する器具よ。知らない?私の夫はこの里でもトップレベルの毒をもっているの。それを抽出して兵の腕に塗りつけているのよ。」
 クリスティアナはそっと自分の腕である鎌を撫でた。しかしその口から出た言葉に啓は背中が粟立った。
 「すぐ死んじゃうかと思ったけれど、頑丈だわ。惚れ直しちゃう。」
 無邪気な発言だが、顔には冷酷な笑みが宿っていた。
 「長男はあなたたちに匿ってもらってるアイーダを殺しに向かわせて、帰って来てないわ。」
 どうなったかご存知?というその問に啓は答えることができなかった。
 ―――私を殺そうとしたアイツがこの人の息子…。
 「…まぁ、毒性も強くなかったし、役立たずだったからそこまで気落ちしなかったのがせめてもの幸いね。未来のために任務を遂行してくれたと思いたいわ。」
 オカシイ。
 啓は思わず一歩後退した。
 「次男は夫と一緒よ。」
 「アナタ、どうしてしまったの?…おかしいわ。昔のあなたは優しくてそんな人じゃなかった…!」
 啓の心を代弁するかのように発せられたアデライーデの言葉に女王は眉宇を寄せた。
 「昔は昔。今は今。…アナタは、変わらないけれど。」
 ふん、と笑ったその表情がどこか寂しそうだった。
 「一族をまとめる者として心は痛まないの?」
 「いえ、ちっとも。この努力は必ず報われますもの。」
 女王は満面の笑みでそう答えると、窓際に置いていた小瓶から液体を自分の腕に垂らした。
 「私もついに未来へ投資する時が来たかしら。」
 その鎌が淡い光を反射して鈍く光った。
 「ケイ様…。」
 そっと囁いたアデライーデの言葉に啓は視線を返す。
 「私はなんと説得したら良いのか、わからなくなってしまいました…。その短剣で正気に戻して差し上げてください。」
 それから、とアデライーデは啓の耳元で囁いた。啓は頷く。
 「行くわよ、アデライーデ。あなたのこと忘れないわ。憎い女としてね。」
 女王がふっと消えたように見えた。

 『クリスは飛べます。気をつけて下さい。』

 アデライーデの告げた衝撃的事実を念頭において、啓は真っ先に天井を見た。予想通り4枚の羽を動かして、騒がしい音を立てながら女王が飛び回っている。
 ―――この部屋が広いのはその為か…。
 アデライーデは鞭で地面を打った。
 「あなたとは戦いたくないわ。」
 「偽善者ね。」
 クリスティアナが空中から急降下してくる。アデライーデがその腕に鞭を巻きつけて軌道をずらした。地面に叩きつけられるかと言うところで、女王は止まった。
 「直線の動きを捉えるのは容易いわ。経験不足ね、クリス。」
 啓が駆け出そうとした時、羽がブブッと音を立て、腕に鞭を巻きつけたまま地面と平行に女王は移動した。
 「アデライーデさん!」
 啓は叫んだがアデライーデ自身は冷静だった。身軽な動きで女王の鎌をかわす。
 「アデライーデ、鞭は殺傷能力が低すぎるわね。本当に私を殺す気で来たの?」
 「……。」
 アデライーデは次の瞬間鞭の拘束を解き、したたかにクリスの体に叩きつけた。今度はかなり効いたようだ。思わず体の動きを止めた虫の女王に対して緑の姫はゆるりと微笑んだ。
 「クリス、おしゃべりが多いわよ。集中なさい。」

 □□□

 啓は戦いに参加する気はあったのだが、クリスティアナに完全無視をされている状況だ。
 ―――どうにかしてコレで傷をつけないと…。
 かするだけでも良いというのに自分にはそれができない。
 これだったら私に向かってきてくれる方がやりやすい…。
 啓は歯痒さをひしひしと感じていた。
 ―――そうだ、アデライーデさんに私の方へ女王を放り投げてもらえば…。
 タイミング良くアデライーデがクリスを捕らえた。
 「こっちに!」
 啓は叫ぶ。アデライーデも気がつき、啓の方にクリスを引っ張った。うまい具合に飛ばされてきた女王を啓は切りつけた。手加減も何も無かった。かなりの手ごたえがあり、やりすぎたかと一瞬危惧する。
 「…っつ…」
 女王は啓に切られた脇腹を抑えて座り込む。
 「やった…。クリスティアナさん!」
 啓は駆け寄る。
 「これは…何が起きているの…?」
 やった!正気に戻った!
 啓は万歳三唱な気分だった。傷口も確かめたが、出血の量からしても死に至るほどのものでは無さそうだ。
 「あなたは、誰?それに…アデライーデ…?」
 怪訝そうに離れた所に佇む女性を見上げた。
 「クリス…。」
 「アディなのね。」
 啓はアデライーデの略称を初めて聞いた。女王がふぅ、と一息ついた。
 「何が起きているのかしら?」
 「あの、あなた達はヴェノスに操られてて、それでトリジュと戦争になってしまったんです。…でも、もう催眠術も解けたはずですよ、ほら。」
 啓は駆けていって、先程アデライーデが覗いていた窓から外を見た。
 「え?」
 眼下の景色は先程までと何も変わっていない。依然として戦いが続いていた。
 「…どうして……?」
 クリスティアナさんが核だったんじゃないのか?
 いや、でもそれはあくまで推測だった。
 ―――間違ったんだ…!
 じゃあ、本当の核はどこに居るんだ?!
 パニックになりかけている啓の横でアデライーデも息を呑んだ。
 「そんな…。」
 「どうしよう…間違ったんだ…核は」
 「何のことかしら?」
 少し不機嫌そうに女王が尋ねる。

 「僕が教えてあげるよ、おかーさん。」

 子供特有の高い声に振り返ると、小学生くらいの少年がいつのまにかその場に佇んでいた。
 「ディルク…どうしたの。ずいぶん痩せたんじゃ…。」
 クリスティアナが驚いたように呟いて、傍にやってきた息子の頬に触れた。
 「そうだね。体に毒がほとんど無いんだもん。そりゃ痩せるよぉ。あれだって僕の体には必要な成分だからね。」
 「それは、当たり前です。どうして毒がほとんど無いなんてことに…?」
 母親のその言葉を聞いて息子はけたたましく笑った。
 「アンタのせいでしょー?」
 ゴミでも払い除けるようにして母の手を払った。
 「…ディルク?」
 動揺してクリスティアナが体を動かしたが、脇腹の痛みに顔をしかめてうずくまった。啓は慌てて駆け寄る。
 「大丈夫ですか?!」
 啓に支えられて女王は再び自分の息子を見た。その表情は痛みのせいか動揺からか、歪んでいる。
 「ねぇ、救世主さーん。」
 びくりと啓の体が反応した。ゆっくり視線をその子供に向けると、不気味なほどの笑みを浮かべた少年と目が合った。
 「元気ぃ?」
 「……は?」
 「元気そうだね。みんなが守ってくれたぁ?クライド?イリド?ザイザックー?」
 「何を…。」
 「ハハッ。素直だね。表情に出てるよ。ところでさー核、誰だと思う?」
 啓は黙り込んで少年を見つめる。彼の2本の触覚がくっ付いては離れ、くっ付いては離れ、を繰り返している。わくわくしている、うきうきしている、そんな風に見て取れた。
 「僕知ってるよ。」
 自分を指差して少年は触覚を左右交互に折り曲げて見せた。
 「君はなんなんだ?」
 「…僕?僕はただの伝達者。事実を君たちに伝える役目を与えられた者。核じゃないよ。」
 ザンネーン、と言って少年は微笑む。
 「ヴェノスは今回3人に直接術をかけたんだよ。すっごぉく、疲れちゃったけどねぇ。」
 「なんだって?」
 「でも核はその中の1人だけどね。意志をちゃんと持った操り人形が3人居るってことだよ。わかるかなぁ?」
 「3人……。」
 「そー。ちなみにこの容れ物…じゃなくて僕、のおかーさんも3人の中の1人だよ。僕もそう。残りは後1人だね。」
 「どこに居るんだ?」
 いたずらっぽく笑う少年は首を少し傾げた。
 「本当に言っても良いの?」
 「良いの、って…残る1人のその人が核なんだから教えてもらわないと困る。」
 啓のこの言葉に少年は口が裂けるんじゃないかと思うほどの笑みを浮かべた。痩せて骨ばった指で指し示す。
 「そこに居るよ、3人目。」
 啓が振り返ると蒼白の顔をしたアデライーデが食い入るようにして少年の指を見ていた。
 自分を指差すその指を。



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