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昆虫の里(1)




 木の穴の中には階段があった。バージュラスの里も地下にあるようだ。
 ―――こんな狭い通路、戦うには不向きだよね…。
 願わくばこんな所で両軍衝突、なんてことになりませんように。啓は階段を駆け下りながら祈る。
 「こりゃあ、二手に分かれて正解だな。」
 クライドがボソリと呟いた。
 「狭すぎるわ…」
 アデライーデも溜め息混じりに言う。
 トリジュの軍は二手に分かれて進行している。長の軍とイリドとシュバルツの軍である。あの医者はクライドが抜けた穴埋めに仮2番隊隊長に任命された。
 啓達はもちろんイリドの軍に紛れている。万が一にもアデライーデが長に見つかるのを防ぐためだ。

 突然角笛の音が木霊した。

 「向こうの笛だな。」
 少しトリジュの物よりも音が高かった。クライドが剣を抜いた。啓も慌てて剣を抜く。
 出発の時、啓にイリドが渡してくれた剣だ。重さも大きさも特訓で使っていたものと同じだった。
 しかし刃はつぶされていない。斬るために作られている剣だ。啓は深く息を吸う。

 前方で両軍が激突した音が聞こえた。

 □□□

 穴を飛び出した啓は予想外の暗さに動揺した。木の根が光を運んでくる造りはトリジュと同じようだが、その光が弱々しい。啓はぐるりとその地下空間を眺め回した。
 「ケイ!」
 クライドがケイの横に現れたバージュラスを切り捨てた。
 「ぼさっとすんな!」
 「うん、ごめん。」
 緑色の何かが飛び散った。一拍置いて、それが血なのだと気付く。
 自分の心臓の音と共に血が体内を駆け巡る音までもが聞こえる。急激に啓の頭は冷えていった。
 ―――『手加減は一切しない。相手の話も聞かない。同情すると困るから。』
 アド、私にもその気持ちがわかったよ。
 啓は、仮面をかぶった。

 「救世主様!」
 アデライーデが武器である棘の着いた鞭を振るいながら啓に話し掛ける。
 「啓で良い!」
 啓は怒鳴り声で答えた。トリジュの姫は頷いて続けた。
 「奥に道があります!」
 啓達が今戦っている場所は里の中心部からは程遠い。このままでは中央の塔の中に陣取っているクリスティアナに近づけない。
 「行こう!」
 駆け出した啓の視界の端を紅い髪の青年がよぎる。
 「アンブローズ!」
 啓とアデライーデが同時に呼びかけた。青年は地面に転がっている兜をかぶって髪を隠すと、いたずらっぽく笑った。
 「お前らもこっちをかぶっとけ。」
 3人並んで走りながらひょいひょいと軽い動作でアンブローズがバージュラスの兜を拾い、投げて寄越した。落としそうになりながらも受け止める。
 ―――切り込むんだ。
 進む先にはまだトリジュの兵はあまり居なかった。
 「さっさとしろ。ちょっとはカモフラージュに、なるだろっ!」
 襲いかかってきた豪傑なバージュラスを切り倒しながらそう叫ぶ。啓はトリジュの兜を投げ捨ててかぶりなおした。不思議に大きさは調度だった。
 額の熱が波のように押し寄せてくる。啓は思い切り顔を歪ませた。振り返って確かめたわけではないが、どうやらクライドは分身を全員出したようだ。
 ―――さっさとこの場を離れよう。
 啓は思い切りバージュラスのわき腹を斬りつける。
 「ごめん」

 アンブローズはともかく、意外だったのはアデライーデも戦い慣れていたということだった。怯みもせずに敵に向かっていく。その手に握られた鞭の操り方もとてもおとなしいお嬢様とは思えない豪快なものだった。速いうえに鋭い。殺傷能力は低いが、彼女のお陰で近づいてくるバージュラスが減っている。
 「お退きなさい!」
 前方から襲い掛かってくる敵はアデライーデに任せ、啓は背後と横に気を配る。
 バージュラスの兵たちは、少しは兜のカモフラージュが効いているのか、一度啓達を見て、彼女達が通り過ぎてから気付いて追いかけてくるというパターンが多かった。
 「切りがねーなぁ!ウゼェ!」
 アンブローズがバージュラスの攻撃をかいくぐり、その敵の体を投げ飛ばす。何人かが巻き添えを食らって倒れた。
 「王女はどこにっ…!」
 「まっすぐだ!その突き当たりだ!」
 後方のアンブローズから返事が返ってきた。
 ―――視界が揺れてる。
 啓は眉根を寄せて辛うじて目の焦点を合わせた。頭痛や何やらで、ときどき眩暈が起こっていた。アンブローズは距離を取ってくれているが、それにも限度がある。
 ―――まったく、いつもいつもいつもいつも、
 「いい加減にしてよね!」
 啓は怒鳴りながらバージュラスを突き刺した。手に伝わる感触に顔をしかめながら剣をすぐに引き抜き、背後に迫った敵に切りかかる。その返り血が右目に入った。
 「げっ…!」
 咄嗟に目を拭った。その一瞬で剣が弾かれる。
 ―――しまった…!
 剣はくるくると弧を描いて地に刺さる。続く相手からの一撃。
 「ケイ様!」
 アデライーデの叫び声が聞こえた。
 「ま…間に合った…。」
 啓は寸での所で腰の短剣を引き抜き、敵の剣をかわしながら回転して、斬りつけた。男がうめいて地面に膝を突く。
 「ほらよぉ!」
 アンブローズが啓の細剣を投げて寄越した。それを受け止め、短剣を腰にしまい、構えなおす。短剣で切りつけた男が立ち上がった。
 ―――やっぱりたいしたダメージは与えられなかったか。
 しかし男は顔を上げたかと思うときょろきょろと辺りを見回した。
 「なんだよ、これ…」
 背後からとどめを刺そうとした啓は耳に飛び込んできた呟きに思わず剣を止める。
 「どうなってんだよ…なんで俺、武装してんだよ!」
 ―――何を言ってるんだ?
 「ケイ、危ねぇ!!」
 アンブローズの叫び声に啓と男は同時に反応する。左方向から敵が飛び掛ってくる。啓は気付くのが大幅に遅れた。叫び声を上げる余裕すらなく、できたことは目を瞑ることだけ。
 しかし、何も起こらない。啓はうっすらと目を開けた。そして事態を理解する。
 その攻撃を防いでいのは、アンブローズでもアデライーデでも、当然啓自身でもなかった。
 「お嬢ちゃん、大丈夫?」
 「……は?」
 「おい、キット。お前どうかしてるんじゃないのか?」
 先ほどから戸惑いつづけている男は飛び掛ってきた男に話し掛ける。しかし、キットと呼ばれた男は答えず再び自分の腕である鎌を振り上げる。
 「な、ななな何してんだよ!」
 男は慌ててキットの腹に拳を入れる。ぐったりとなったキットの体を地面に横たえた。
 「……どうなってるんだ?」
 バージュラスのその男は心底不思議そうに首を傾げた。
 「あなた、もしかして…」
 催眠術から開放されたのか?でも、どうやって?
 「君、トリジュ族の子だよね。ちょっとこの状況を説明してくれないかな?」
 しゃべりながら啓に襲い掛かるバージュラス達を鎌ではない方の腕で気絶させていく。かなり強い。
 「話せば長いから、この場はよろしくお願いします!」
 啓達は再び駆け出す。しかし、バージュラスの男はついて来た。アンブローズが問答無用で切りかかる。しかし男はそれを鎌で受け止め「まぁまぁ、兄ちゃん落ち着いて。」などと言っている。
 「何でついて来るんですか?催眠術から開放されたなら家に帰って寝るか、この襲い掛かってくる狂人をなんとかしてください!」
 「おっかしいよなぁ…おい、お前ら何やってるんだよ。トリジュ族のお方達だぞ?」
 彼の言葉からは悪意も何も感じなかった。
 周りのバージュラス達は男の言葉に耳を傾ける様子も無く、ただ無表情に襲ってくる。
 「おっかしいな。これでも隊長なんだけどな…。」
 「お前、隊長かよ!」
 すかさずツッコんだアンブローズに笑顔で男は返事をする。
 「そうです。コイツ達、部下なんです。」
 「ケイ!コイツ本当に催眠術から開放されてんの?!」
 「たぶん!だって目が違う!」
 そう、目が違うのだ。生きている目をしている。そして会話ができる。
 「よし、じゃあお前!部下が俺達に斬られるのが嫌なら、クリスティアナの所まで案内しろ!」
 「あぁ、良いですよ。クリスティアナ様に用があったんですねぇ。…なんだか、コイツ達おかしいみたいだ。傷つけても良いですよ。でも殺さないでやって下さい。」
 アンブローズは剣を鞘に収め、誰かの家に飛び込むと箒を持って出て来た。
 それで片っ端から殴り倒している。
 「そうそう、そんな感じで。」
 この隊長とか言っている男も自分の部下が殴られているというのに呑気なものだ。
 「ねぇ、アナタ!あの建物がそれなの?」
 アデライーデが額に汗を浮かべながら尋ねる。心なしか鞭の動きが悪くなっているように思えた。
 「そうです。…だいぶ疲れていらっしゃるようですね。代わりましょうか?先頭。」
 アデライーデは少し沈黙した後、「頼みます。」と言って先頭をバージュラスの隊長に任せる。後ろに下がってきたアデライーデは納得しきれないような顔をしてケイに尋ねた。
 「どうなっているんですか…?」
 啓も目の前で何人もの部下達を気絶させながらずんずん進むバージュラスを見つめて首を傾げた。
 「よくわからない…ただ、催眠術からは開放されてるみたいな…。」
 「…ありがたいですけど、少し、心配です。」
 啓も頷いた。今はどうしてか自分達の味方だが、いつ寝返るかわからないのだ。



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