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ミドリの一族 下(5)




 「私はバージュラスに知り合いが居るのです。」
 長の娘さんの話は最初の言葉からして仰天物だった。
 ―――バージュラスに知り合いが居る…!
 「親しい、人なんですか?」
 「ええ。とても仲が良かったです、昔は。」
 過去形ですか…。
 「名前をクリスティアナと言います。バージュラスの女王です。」
 啓は自分で用意した紅茶を吹き出した。慌てて布巾で拭う。アデライーデはそんな啓を気にした風もなく話し続けている。
 「昔はトリジュもバージュラスも仲が良く、交流が盛んでした。その頃は私もクリスティアナも親友、と言って差し支えが無いほど親しかった。でも、数10年前になるかしら…。」
 今、おいくつですか?と尋ねたい啓だったが堪えた。
 何しろトリジュ族の人々は長命で20代に見える人が実は50代だったりするのである。
 「ヴェノス・ニックタールがバージュラスに予言をしたのです。」
 ―――ヴェノス・ニックタール…。
 啓の宿敵である。
 「ユートピアを創る、と。」
 「…ユートピア?」
 「予言、というよりも誘惑、と言いましょうか。世界を作り変え、その世界ではバージュラスを不老不死の一族にしてやる、と言ったそうです。」
 「バカな…そんな話、信じているんですか?バージュラスは。」
 心底、軽蔑する。
 「信じます。…信じたいのです、彼らは。それを最も望むが故に。」
 「馬鹿馬鹿しい…。」
 啓は思わず頭を抱えた。
 「我々トリジュの一族が長命だから、自分達の短命が呪わしかったのでありましょう。これは私の推測でしかないのです。だから断言はできません。でも、きっとそうに違いないのです。我々と親しいが故に、比べられ、いつも自分達が先に死んでいる。それは紛れも無い事実。」
 「…それは長達も知っているんですか?」
 アデライーデは沈黙した。
 「バージュラスがヴェノスの予言を信じていることは知っております。彼らがヴェノスの指示で、私たちトリジュを襲っていることも知っております。トリジュ族は昔から空間師と親しく、彼らの守護霊は全てこの里の精霊ですからヴェノスには目障りだったのでありましょう。だから、バージュラスを利用して滅ぼそうとしているのです。」
 くだらない。啓はそう思った。
 そんなくだらないことがこの戦いの元凶なの?
 「ただ、いくらなんでもユートピアなど信じられるわけがありません。望んでいるから頭から信じる、それほどの愚か者ではありません。彼らは、操られているのです。」
 「…は?」
 ―――操る?
 バージュラス全員をか?
 「そんなこと…」
 アデライーデは唇をかみ締めた後、搾り出すように呟いた。
 「ヴェノスにはできるのです。彼の能力は催眠術。記憶操作。」
 「能…力。」
 そんなの、強すぎるじゃないか。記憶操作?催眠術?
 ミランダの能力は「人間に力を与えられること」
 桁外れじゃないか。ヴェノスの能力は反則だ。強すぎる。
 「本当は世界の均衡を保つために、必要な能力だったのです。均衡を保つために使わなければならない能力だった。でも、彼はどうしてか、こんな使い方をして…。」
 「じゃあ、バージュラスの人は皆、操られてるんですか?」
 「ええ。でも、ヴェノスの能力には欠点があります。複数を操る時は核となる人物にだけ直接催眠術をかけるのです。そして、そこから術は触手を伸ばし、里全域に広まる。広まる範囲もあらかじめヴェノスが指定しているそうで。」
 「核…。」
 「はい。直接催眠術をかけるとひどく疲労し、当分術が使えなくなると聞いています。里全員に直接に術をかけたとは思えません。だれか、核となる人物が居るはずなのです。その人物の術を解けばバージュラス達は開放されるはずです。」
 「なるほど…。その者を長達は探しているのか…。」
 アデライーデは首を振った。
 「探そうにも近づけないのです。バージュラスの里に…。見つかったらすぐに殺されてしまいます。今まで送った者の中で帰ってきたものは居りません。」
 「…その催眠術とやらがトリジュ族にまで感染する、ということはないんですか?」
 「それは心配ないです。術を拡散させると言ってもその場にヴェノスが居なければならないそうなので。」
 「?」
 難しすぎてゴチャゴチャこんがらがってきた…。
 「要するに、1人を操るならばヴェノスが直接すれば良い。しかし、複数を操る場合には核を媒介として術を拡散させる。術を掛け終わったら後はその核が居るだけで術は永続される。1人を操るにしろ、複数を操るにしろ、術を発動させる時はヴェノスがその場に居ないと話にならないと言うわけです。そして、今そのヴェノスはミランダに追い掛け回されているはずです。術を掛け終わったバージュラスの里にわざわざ立ち寄るとは思えない。」
 ―――なんとなく理解はできた、な。
 とにかく核を見つけ出せば良いんだろう。
 「救世主様、ここからが重要なのです。」
 えぇ?!今までのは前置き?長いな!
 「今まで話してきたことはお父様もお母様も存じておられます。けれど、今から話すことは私だけしか、気付いていないはずです。」
 一度、言葉を切り、噛み締めるようにアデライーデは言葉にした。

 「私は核に心当たりがあるのです。」

 とんでもない言葉だった。
 「…誰ですか?」

 「クリスティアナです。間違いありません。」

 ―――そういうこと、ですか。
 「今まで黙っていたのはその人の為ですか…?」
 「そうです。彼女は今でも私の大切な友人です。彼女は、私のことをどう思っているかわからないけれど…。だから、助けたい。」
 「助けるって言っても…。」
 自分に何をしろと言うのだ。啓はただただアデライーデの真摯な瞳を見つめ返すだけだ。
 「お父様達は『核』を見つけ次第、殺すつもりです。でも、私は彼女が殺されずに解決できるならっ…」
 啓は言葉をつまらせて目を潤ませるアデライーデを落ち着かせようと口を挟んだ。
 「待ってください。まだクリスティアナさんが核だって決まったわけではないんでしょう?」
 「それは、そうですけど…でも」
 「そもそも、どうして仲が悪くなったんですか?一族間の諍いの為ですか?一族の仲が悪いぐらいで離れる程度の友情にどうしてそこまで」
 こういう尋ね方は酷いかもしれない、と思いつつも啓は思ったままを口にした。
 アデライーデがそこまで確信している根拠はなんなのか?
 クリスティアナにこだわるのはなぜ?
 しかしその言葉は途中で遮られる。
 「違います!」
 アデライーデが叫んだのだ。立ち上がった体がガタガタと震えている。
 「…え?」
 ―――やっぱり怒らせたか…?
 「彼女との友情はそんなことで壊れたんじゃありません…!」
 それからハッとしたように口を一瞬つぐむと深く息を吐き出して再び腰掛けた。
 「すいません、取り乱してしまって…。彼女、クリスティアナと不仲になった原因はこの…長寿のためなのです。」
 そのものズバリ、だ。
 「昔、私と彼女は2大美女、として褒めそやされていました。お恥ずかしい話ですが、私もあの頃は自分をいかに美しく見せるかに傾倒しておりました。そして、それはクリスティアナも同じだった。お互いに認め合い、高めあっていました。」
 素晴らしい事だ。
 女の子が美しくありたいと思うのは普通のことだ。私だって、こんな状況じゃなかったら化粧ぐらい…。
 今の自分には到底無理そうである。
 「しかし、年月は流れ、クリスティアナは徐々に年齢が外に出てくるようになりました。老いていったのです。」
 「…。」
 「しかし、私は寿命の桁が違うものですから外見は全然変わらず、そのまま。周りも私と彼女を2大美女とは呼ばなくなり、私は里1番の美女と呼ばれるようになり、彼女は『かつてとても美しかった人』と呼ばれるようになりました。」
 アデライーデは少し目を伏せる。長い睫が震えているような気がした。
 「周りに悪気は無かったのです。ただ、そうなっていっただけ。でも、それがクリスティアナには絶え難いことだった。お互いにライバル心だけは健在だったものですから尚のこと。…私は、…正直に言います。優越感に浸っておりました。純粋に嬉しかったのです。自分が1番になれたことが。」
 最低でしょう?と言ってアデライーデは微笑んだ。
 啓には泣いているように見えた。
 「1番の裏には2番だって3番だって居るのに、その人たちだってきっと努力していたに違いないのに、なんの努力もせず、『寿命』という卑怯な手を使って1番になった。そしてそれを喜び 、ちやほやされて当然と考え、2番の人のことを考えなくなったのです。」
 「でも、それは…」
 仕方が無いでしょう、という啓の視線をアデライーデは黙殺する。
 「その頃から、私とクリスティアナの溝はどんどん広がっていきました。会うと睨み付けられて、とても不愉快に感じたのを良く覚えています。部屋に置いていた服が破かれていたこともありました。それで…私は、その腹いせに送って差し上げたのです。」
 アデライーデが啓との間に置いてあるテーブルの上に乱暴に正方形の箱を置く。
 透明のビンの中に様々な色の液体が入っている。手鏡もあった。
 「これはトリジュの最高級化粧用品です。」
 「…これを送ったんですか…。」
 「ええ。あの時は自分がそうすることは当然だと思っていたのです。自分はあんなことをされたのだからこれぐらい当然だと思った。自分にはその資格があると思ったのです。」
 啓は絶句した。
 やはり女はどの世界でも恐ろしい…と自分のことを棚に上げて感じた。
 ―――これは、やりすぎだ。
 傷口に塩をすり込まれるような気持ちがするだろう。ましてや、それが自分にはどうしようもない「自然の摂理」だったのなら。
 「『あなたは肌の張りが無くなってしまったのと同じように張り合いが無くなってしまったわ。これがお役に立てたらいいのだけれど。』という手紙もつけました。洒落ていると思ったわ。」
 「アデライーデ様…」
 「様付けしないで下さい。私には、そんな資格ありませんから。」
 仲が悪くなるはずだ。当然だろう。
 「私がそれを送りつけたまさにその直後、毒に犯された木々が発見されたのです。ぞっとしました。まさかと思った。だって、あんまりでしょう。仕返しならば私に直接してくれば良いものを罪の無い木々に当たるなんて、考えられなかった。」
 でも、とアデライーデは話し続ける。
 「本当は…怖かったのです。自分の行いのせいで事件が起こった。自分のせいだと責められるのが怖かった。…今まで言い出せなかったのも、それが1番の理由なのかもしれないわね…。当時は褒められ慣れていたせいか、周りの視線、評価がとても気になったの。だから、評価ががた落ちするような事を起こしたなんて絶対に知られたくなかった。」
 その気持ちも、よくわかる。
 ―――私も、成績には拘っていたからな…。
 成績とこの重大事件を同じように考えるのはどうかとも思ったが、根本的なところは同じだと思う。
 『優等生』という肩書きが誇らしく、手放せなかった。
 無駄な拘りのせいで、自分の首をしめた痛い経験がある。
 二度と繰り返したくない過ちだ。
 「好都合、と言うのかしら…。その箱をを送り届けた配達人は死んで帰ってきたわ。毒に犯されて。」
 アデライーデは自嘲的な笑みを浮かべる。
 「クリスティアナではないと考える方が難しいぐらいです。ヴェノスの術は心が弱っているか、強い憎しみ、恨みの負の感情が大きいほど強く作用すると聞きます。すべて彼女には揃っているわ。」
 確かに時期的に見ても符合する。
 「たくさんの人が犠牲になった。その数が増えていくほど、言い出せなくなった。…でも、もう終わりです。潮時です。私がやったことは許されないこと。だから、この身で償いたい。やれることは全てやります。この命を捧げても構いません。」
 「…私に、何を望んでいるんですか?アデライーデさん。」
 このような話をされたからには、自分も関わらなくてはならないのだろう。少なくとも、目の前の女性の計画の中に自分は組み込まれているに違いない。
 「私をクリスティアナの所へ連れて行ってください。」
 啓は頬が無意識にピクリと動くのを感じた。
 ―――無茶な…。
 「私が、全て終わらせます。」
 しかしその瞳は揺ぎ無い。迷いは無いようだった。



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