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ミドリの一族 下(3)




 自分の部屋に帰った啓は途端に、まるで風船がしぼむように元気がなくなった。布団に体を投げ出す。
 泣かなかった。ただ、元気が出なかった。眠ることもできなかった。
 「戦争の英雄も時代を間違えればただの人殺し…。」
 地球に居た頃に聞いたこと言葉が不意に脳裏に浮かんだ。
 それでも、アドは私を守ろうとしてくれたんだ。たとえ、それが人殺しに繋がったとしても。
 私はあの時受け入れられなかった。バージュラスと彼が重なって。怖くて、また、逃げたんだ。
 今は、そう思える。
 「生き物は何かを守るために別の物を殺すのかな。」
 だとしたら、あのバージュラスにも守るべき何かがあったんだろうか。保護を失ったその「何か」は今頃どうしているのだろう。
 「アドには悪い事しちゃったなぁ。」
 私の混乱に振り回されて、ものすごく迷惑してるだろうな。もう、本当に呆れられちゃったかもしれない。
 ―――『お前がなっちゃってるの?!』
 アンブローズの言葉を思い出して苦笑いする。私がなっちゃっているんだ、と答えた私。そう。「なっちゃってる」んだよ。
 私の心はとっくに許容量をオーバーしているのに。
 受け付けられないことや、訳のわからないことばかりで、もうこれ以上増えたら困るのに。
 それでも、救世主は私なんだよなぁ。

 「救世主…。」

 私はバージュラスの人たちにとっては救世主なんかじゃないんだよな。だったら何なんだろう。魔王、とか?そんなに強くないな。なんにせよ、邪魔な存在なわけだ。でも、彼らの存在が私には邪魔なわけで、これじゃあ折り合いはつかない。だから、殺すのか。
 「救世主…なんてそんな万能な人は居ない。」
 それに、小さな世界を守る救世主なら私のほかにもたくさん居るのだ。本人が救世主だと思っていないだけで。
 「きっとあのバージュラスも誰かの救世主だったんだろうなぁ。」
 私は、救世主って言葉を重く捉え過ぎていたのかもしれない。
 確かに他の救世主よりちょっと規模は大きいけど、私なりにできることをやれば良いんだし。できなかったらその時に後悔して反省して、それで前に進めば良いわけだし。
 でも、逃げるのはちょっと違うんだよね。
 「謝りに行かなきゃ。」
 啓は混乱していた頭をやっと整理し直すことができた。

 □□□

 啓が病院の扉に手をかけると、腕を掴まれた。
 「ケイ、どこ行くの?」
 寝巻きに着替えた少女が心配そうに啓を見上げている。
 「スーザン、もう寝なきゃ。時間、遅いよ?」
 「ケイ、遠くに行かないでね。絶対帰ってきてね。皆、優しいよ。怖くないよ。ケイ、信じて。」
 啓は驚いたように目を見開いて、それから微笑んだ。
 「スーザンは本当になんでもわかっちゃうんだな。」
 「……。」
 「大丈夫だよ。アドに謝りに行ってくる。」
 スーザンは啓の言葉を聞いてあからさまに嬉しそうな顔をした。花が咲いたような笑顔が浮かぶ。
 「クライドの家は大通りに出て、長の家の方向に進んで3つ目の角を左に曲がってね。すぐにわかるよ。」
 「ありがとう。」

 「―――ここ、だ。」
 額の熱から言っても確実である。7色の家が固まって建っている。
 「どの、家かな。」
 もしかして、これはそれぞれのメシャルの家じゃないのか?
 トリジュの里のどの家を見ても、このように1色だけに染められた家はなかった。ましてや、それが合計7軒。7色。派手すぎる。取り付けられたはしごまで色付きである。
 「アドは緑、だよね。」
 啓はとりあえず自分の仮説に納得し、アドリアーノの司る色のはしごを探す。そこで気がついた。
 ―――『なんだい?その肌と髪の色は。』
 イリドは確かにそう言っていた。アドは保湿がどうのこうのと答えていたような気がする。それに、アンブローズもクライドも肌の色は褐色だ。どうしてアドだけが緑?それもおかしな話である。だいたい、髪の色はクライドも緑だ。
 ―――アドは他の色なのかな…?
 「とりあえず、登ってみよう。」
 啓は緑のはしごに手をかけた。筋肉痛が容赦なく啓を襲う。
 腕が痛い、手の豆が潰れている所が痛い、足が痛い、背中が痛い、上を見上げる首も痛い。はしごを登るのって、全身運動だったんだなと啓は気がついた。
 なんとか登りきった啓は素早く窓際に移動し、こっそりと中を覗きこんだ。
 ―――ハズレだ。
 見慣れた隊長が眠っている。クライドである。
 啓は7つの家が橋で結ばれていることに気がついた。緑の家を中心に6つの色の橋がかかっている。
 ―――赤はアンブローズだから、オレンジ?なんか雰囲気が違う気がする。黄色、かな?
 啓は足音を忍ばせて黄色い家の窓にたどり着き、中を覗きこんだ。
 「誰も居ない…。」
 長い間使われていないようである。
 啓は引き返して青の部屋を覗き込んだがここにも居ない。藍色の部屋にも、紫の部屋にも、結局最初には省いたオレンジの部屋も見てみたが居なかった。
 ―――なんだ、クライドの中に居るのか。
 骨折り損、である。
 眠っているクライドを起こすのは気が引けたが、啓は思い切ってノックした。反応はない。随分ぐっすりと眠っているようである。扉を押してみるとあっさりと開いた。啓はごくりと唾を飲み込み、足を踏み入れた。ベッドの傍まで歩いて眠っているクライドを眺める。
 ―――どうしようか。このままアドを呼んだら出てくるなんてことは無いかな。そんな都合が良いわけないか。
 仕方なく、クライドを揺する。
 「クライド。」
 ビクッと彼の体が反応し、啓は直感的に飛び退いて腰の剣を抜いた。寝起きの隊長の一振りを受け止めて叫ぶ。
 「クライド!私だよ!ちゃんと起きて!」
 「…ケイ?」
 彼は呟くと眠そうに目をこすってベッドに腰掛けた。
 「どうかしたのか?額、熱いだろ?」
 「そんなこと今はどうでも良いの。私、アドと話したいの。そのために来たの。」
 「…アド?―――あぁ、今日あいつキレたんだよな。そのことか?」
 啓は頷いた。
 「ありゃー治んねぇぞ。」
 「治して欲しいんじゃないの。…私、酷いことしたの。謝りに来た。」
 「?」
 クライドが首を傾げた。
 「私、今度こそ絶対アドのこと傷つけちゃった。ティッシの時も酷いことしたけど、今回の比じゃないもん。」
 「…勘違いじゃねーのか?」
 「私が酷いことしたのは事実だよ。だから、お願い。」
 「別に、話したいって言うなら反対はしね―よ。…ほら。」
 ゆらり、と藍色の煙が漂った。
 「アド、俺もう寝るから話すなら自分の家で話せよな。もう起こすなよ。」
 クライドは眠そうな声でそう呟くと再びベッドに入る。煙がだんだん薄まり、1人の青年が座り込んでいるのが判別できた。

 □□□

 「アド、行こう。どの色の家なの?」
 「藍色…。」
 啓はアドリアーノの手を引いて藍色の家に向かう。扉の前に来るとアドが鍵を取り出して開いた。
 「なんか、随分と埃っぽいね…。」
 返事は無い。
 「窓開けた方が良いかも。」
 顔の前でてを振りながら、窓のところまで行き、開いた。反対側の窓はアドが開けている。質素な部屋だった。啓は窓開けから戻ってきたアドと一緒にベッドの上に座る。テーブルも椅子も無かったからだ。
 「アド、あのねさっきはごめんね。私、酷いこと言った。今度こそ傷つけちゃったね。」
 アドは首を振った。やっと押し黙っていた口を開く。
 「どうしてケイが謝るの…僕が悪いんだよ。ちゃんと話も聞かなくて、ただカッとしたからってあれはないよ。」
 「…私ね、アドがあの時、怖かったの。」
 彼は無言で頷いた。
 「アドの表情が無くなっちゃって、すごく冷たい感じになって、私の知ってるアドと違うって思ったの。」
 たかが3日ぐらい一緒に居ただけだったのにね、と啓は付け足して自嘲気味に笑った。
 「私の見たアドだけが私の頭の中ではアドだったの。わかりにくいかな?でも、そうなの。だから、あの時びっくりして、すごく怖かった。全然違う人みたいに思えたから。」
 「驚かしてごめん…。」
 「良いの。だって、あの時のアドもアドに違いは無いんだから。私を守ってくれようとしたんだよね?」
 こくり、と青年は頷く。
 「ありがとう。」
 項垂れていたアドが顔を上げた。
 「私は、まずお礼を言わなきゃいけなかった。責め立てるだけじゃなくて、だってアドの気持ちはちゃんと伝わってきたから。どうしてああいうことをしたのか、私は分かってたから。…でも、私は…」
 ぎゅっと拳を握り締めた。
 ―――泣いちゃダメだ。
 「私は、すごく酷いこと思った。アドにすごく失礼で、恩知らずで最低なこと。」
 アドは静かに啓の独白を聞いている。
 「自分の考えにびっくりして、混乱して、逃げた。迷惑だったでしょう?ごめんね。ごめんなさ…い。」
 握り締めた拳の上に滴が落ちて、弾けた。突然、それまで黙っていたアドが「よいしょ。」と呟く。体の向きを変えると、啓を優しく抱き寄せた。
 「熱い?」
 本当はすごく熱かったが、啓は首を振った。アドは苦笑する。
 「じゃあ、このまま話そうかな。あのね、ケイ。僕は迷惑だなんて思ってないよ。ケイのこと、すごく大切だし、傍にいたいと思ってる。パズルのことももちろん協力するつもりだよ。最後まで僕はついて行くつもりだから。どんなことがあっても。」
 啓はアドの胸に顔を押し付けて涙を堪えた。
 ―――どうしてこんなに優しいんだろう。
 「もちろん、世界が滅んじゃ困るってのもあるけどそれ以上に、純粋に、啓が好きだからついて行くんだよ。啓とだったら一緒に旅に出ても良いかな、って思えるんだ。不思議だよね。出会ってから、たかだか3日ぐらいしか一緒に居なかったのに。」
 アドが少し笑いながら啓の言葉を引用した。
 「僕が今日したことは、怖がられても仕方が無いことだよ。あのイリドですらちょっと怖がってたみたいだし。…啓は僕とバージュラスが重なって見えた?」
 どくん、と心臓が大きく脈打った。
 「ごめんね…」
 一言、そう答える。
 「確かに『お前、バージュラスと同じだよ。』って言われたらショックだよ。僕にあんな変な触角は生えてないからね。でも、同じ生き物だから一瞬被って見えることはあるかもしれないよね 。…僕は斬るのが大嫌いだ。でも、守りたい人、守りたい物のためなら仕方が無い。殺らなきゃ殺られちゃうからね。その気持ちはきっとバージュラスでも同じことだと思うんだ。」
 「…うん。」
 「だから、啓が僕とバージュラスを重ねて見たのは失礼なことじゃないんだよ。少なくとも僕は気にならない。その啓を襲ったバージュラスも僕と同じで殺すのが嫌いなのかな、って思う。僕は素面じゃ生物は殺せない。だからああいう仮面を被るんだ。」
 「そう、だったんだ…。」
 「手加減は一切しない。相手の話も聞かない。同情すると困るから。」
 「…。」
 「ケイ、僕は君の特訓のこと反対しない。」
 そっとアドが啓を体から離す。真剣な目でしっかりと啓を捕らえた。
 「ただ、覚悟はしなくちゃいけないよ。」
 「…え?」
 「相手を傷つける覚悟。」
 啓は答えられなかった。自分にそんなことができるか?
 「自分を守るため、誰かを守るため、大切なものを守るためには犠牲も必要だ。これを理解しなくちゃいけない。戦う時は迷ったらダメだ。特訓をするというのは、そういう世界に足を踏み入れることだ。」
 「私、は」
 そこまで考えていなかった、と答えたら怒られるだろうか。
 周りの人に迷惑を掛けたくない、自分が弱いせいで周りが傷付くのはもう見たくない、それだけだった。
 ただ、それだけで。
 「ケイは、この先きっとたくさんの人たちに邪魔される。」
 「…うん。」
 「ヴェノスの影響はきっとケイが考えている異常に広い。僕の想像も越えているかもしれない。どんな奴らを仲間にしているかもわからない。」
 「うん。」
 「ただ、1つハッキリしているのはケイがその人たちにとって邪魔だということ。ケイこそがその人達にとっては悪だということ。―――悪は、滅ぼされる。」
 「…うん。」
 「確実に殺しに来るよ。そのときに、中途半端に技術だけを磨いて、覚悟ができてなかったらケイは殺される。」
 「…。」
 「戦場では甘さは捨てなくちゃいけない。優しさなんて、邪魔なだけだ。」
 「うん、わかるよ。」
 わかる。
 今の啓にはアドリアーノの言っていることが良く理解できた。ただ、気持ちはそれを受け付けなかった。
 「…ケイ、覚悟ができないなら特訓はやめた方が良い。僕達が絶対に守ってあげるから。」
 啓は乾いた笑いを漏らした。
 「アド、ありがとう。でもね、守られるだけは嫌なの。だから、特訓は続けるよ。」
 気持ちでは相手を斬ることを受け付けない。でも、状況はそれを許さない。だったら、やるしかないじゃないか。
 アドもそうでしょう?だから、仮面を被るんだよね?
 人を斬るのが大嫌いなあなたが私を守るために人を斬る、そんなの嫌だよ。
 あなたたち、周りの人達の手を汚させて、自分だけ綺麗でいようなんて虫が良すぎるじゃない。
 そんなの、まっぴらごめん。
 啓はそう思いながら、ついに額の熱に堪えきれなくなり、その場で意識を失った。


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