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ミドリの一族 下(2)




 『おやまぁ、どうしちゃったんだい?あの子は…。』
 アイーダが驚いたように奥の部屋に駆けていった啓について尋ねる。
 『パニック状態、に見えましたが…』
 あまりの驚きにクモの姿に戻っていたタロタスが不安そうに答えた。
 「イリド、ごめん。咄嗟にスイッチ入っちゃったんだ。」
 元の表情に戻ったアドがもう一度詫びた。
 「…あぁ、別に、もういい。長い間会ってなかったからな。アタシもアンタのことちょっと忘れかけてたわ。反応できなかったのが恥ずかしかったぐらいで、本当に、気にするな。」
 イリドは本心からそう言ったのだがアドは首を振った。
 「僕、どうしちゃったんだろ。…あー、絶対ケイに嫌われた…。ごめん。ごめん。」
 むしろ重症なのはアドリアーノの方だった。部屋の隅で俯いている。そして、キレ気味のシュバルツだった。折れた刃を拾うとアドに投げつけた。その刃はアドの横の壁に突き刺さる。しかし、アドは気にした風も無い。
 「…おまえの中でイリドは敵だった、ということか?」
 ふとアドが顔を上げた。
 「あの時は、ね。確かに完全に敵だったよ。なんかケイの傷を見るとカッと来ちゃったから…。ごめん。」
 「もう良いんだよ。シュバルツもいつまでも怒るな。確かにパッとあの子を見たらアタシが虐めてるように見えるだろうよ。しかもアタシが笑ってたから余計だろう。悪意満々のまさに悪の権化だって認識されちまったんだ。」
 シュバルツは眉間のしわを揉んだ。
 「…そうだな。説明不足もあったし、実際には大事にならなかったわけだし…いつまでも怒ってるというのもな…でも腹立つなぁ!」
 シュバルツが蹴飛ばした花瓶が壁に当たって粉々に砕けた。
 『話が見えないんだけどねぇ…。』
 まだアドに糸を巻きつけたままのアイーダが苦笑して言った。
 「あぁ、アイーダ。もうソイツは大丈夫だから糸から開放してやってくれ。」
 「いや、むしろぐるぐる巻きにしてよ…。」
 「暗いことを言うな!」
 呟いたアドにイリドは怒鳴る。アイーダは糸を回収した。
 「コイツはね、クライドの分身の1人なんだ。普段は穏やかで滅多に怒らないんだが、怒ると容赦ない。敵だと認識したらすぐに斬って捨てるからね。ある意味、1番冷酷なヤツさ。」
 ひどい紹介のされ方である。
 『恐ろしい御方だねぇ。』
 アイーダは笑いながらそう呟いた。
 『お、恐れながら申し上げます…皆様方、私は飛び出して行かれた救世主様が気になるのですが。』
 タロタスがアイーダの背後に隠れながら進言した。シュバルツが長い溜め息をつく。
 「僕が見たところ、あれはただのパニック状態じゃない。たぶん…」
 自分を抑える為に仕事モードに切り替えたようだ。
 「思い出したんだよ。」
 スーザンの声がシュバルツを遮った。全員がその少女に注目する。
 「スーザンにはわかる。ケイは思い出しちゃったんだよ。1番怖かった時のこと。」
 「僕もそう思う。」
 シュバルツが肯定した。
 「1番怖かった時のこと…?」
 「何がきっかけになったのかスーザンにはわからないけど、ケイはアドを怖がってた。きっとさっきのアドがケイの頭の中のアドとかけ離れてて、それが運悪く、何かに結びついたんだよ。」
 『バージュラスの時じゃないかい?あの子が1番恐れることと言ったらそれぐらいしかないだろう。』
 アイーダが言った言葉にアドが反応した。
 「バージュラス…ケイはあいつらと何かあったの?」
 イリドは頷く。
 「あったなんてもんじゃない。きっとそれだよ。」

 「なにが『それ』なんだ?」

 長とラリサが部屋に入ってくる。部屋の惨状を見てラリサが「まぁ。」と口元を押さえた。花瓶は割れている。折れた剣が転がっている。そしてその刃は負のオーラを放つなにやら緑の生物の真横に突き刺さっていて、敷布は乱れに乱れている。
 「そこに居るのはなんなのです?」
 直球だった。
 「何、何って僕のことですか…。」
 アドが顔を上げてラリサを見上げた。
 「ア、アドリアーノ。あなた、どうかしたの?」
 「いえ、別に…。」
 「これは、どういうことだ?」
 なんだか楽しそうに長が尋ねた。イリドとシュバルツ、スーザンは膝を折ってその場に座る。
 「早く顔を上げて説明しろ。」
 長が目をきらきらとさせて再び尋ねた。
 「私が救世主を特訓していたのは長もご存知だと思いますが、」
 「あぁ、傷だらけだと聞いたぞ。」
 口を挟んだ長の言葉にイリドは頷いた。
 「その通りです。その傷を見てアドリアーノが、その、誤解をしまして…。」
 長は噴出した。
 「お前、敵と見なされたんだな?」
 「…はい。」
 「俺もあったよ。なぁ、アド。」
 アドは部屋の隅で小さくなっていたが、頷いた。
 「…あぁ、あの時は酷かったですよね…あの頃はまだ自分を律することも上手くできなくて、僕の絵を破いたのが長だと思い込んじゃったんですよね。」
 「全治2ヶ月だった。」
 豪快に笑って長は呟いた。 全員言葉を失う。
 「夢のような2カ月だったなぁ…。」
 長の言葉にラリサは微笑んだ。
 「私はその頃病弱で入院していたの。学び舎にも行けなくて、この人とは少ししか歳が違わないのだけれど会ったことも無くて。おかしいでしょう?こんな小さな里の中で私のことを知っているのは一握りの人だけだったわ。家族と病院の人達。そんな私がまさか里の未来の長候補と出会えるなんて、夢みたいよね。私とこの人の出会いはアドリアーノが作ってくれたのよ。感謝してるわ。」
 「…はぁ。」
 なぜ自分達は身の上話を聞かされているのか?とシュバルツは内心首を傾げた。
 目の前のカップルのラブラブっぷりを見せられていると、自分の中の心のイライラがどうでもよくなってきた。
 ―――アホくさ…。
 しかし隣のイリドは真剣に聞いている。スーザンは向こうの方でアイーダと戯れているようだ。逃げ足は速い。
 そんなことを思っていると入り口の垂れ幕が上がってクライドが中に入ってきた。
 「何だコレ、…おい、アド!てめぇ、またそんな格好しやがって、笑われるのは誰だと思ってんだ!」
 「そんな格好って?これは僕の普段着だよ。」
 「パジャマだろうが!この散らかりようもおかしいぞ。まさかお前関係してるんじゃねぇだろうな?」
 「……。」
 クライドは部屋の人々を見渡した。困ったように笑う者、視線をそらす者、あからさまに馬鹿にしてくる者、どの反応を見ても答えは1つだった。
 「…バカが。」
 アドリア―ノを思い切り蹴飛ばした。彼は抵抗することもなく、壁に叩きつけられる。傍目に見ても痛そうだった。
 「どうしよう、クライド…。」
 痛がるような素振りも見せずにアドリアーノは声を絞り出した。
 「あ?」
 アドは顔を上げて泣き笑いのような表情を作る。
 「僕、ケイを傷つけちゃったよ。」

 □□□

 「…っはぁ、はぁっ」
 啓は走って走って、突き当りでずるずるとしゃがみこんだ。
 ―――落ち着け。
 頭ではそう言い聞かせているのだが、ちっとも落ち着かない。
 ―――アドは悪くない。私のことを心配してくれたんだ。あの仕打ちは無いだろう。帰って、謝らないと。
 でも、怖い。
 あの表情が、あの目が、今度は自分に向けられるのではないか。ありえない、とわかっているのにそんな考えが頭を占領する。
 「何を…怖がっているんだ、私は。」
 息切れが収まると涙が出てきた。拳を握り締める。
 「―――だれ?」
 突然、声を掛けられた。啓はびくりと反応した。
 ―――ダメだ!止まれ!
 体が勝手に動く。額を鋭い熱が襲った。それと同時に斬りつけた剣が金属特有の鈍い音を発する。
 「…ん?お前、病院のガキ…?」
 赤い髪が目に飛び込む。そして背後に居る女性も目に入った。
 「あ、危なかった…。」
 啓の呟いた言葉に男が答える。
 「それはこっちのセリフだ!」
 「…まったくだな。」
 啓のその答えに赤髪の男は首を傾げる。そして、剣を鞘に納めた。
 ―――さっき、自分はどんな顔をしていたのだろう?
 啓はふとそう思った。また、バージュラスの顔が頭をよぎる。あんな、顔をしていたのかな。
 「…アンブローズ、後ろに居るのは誰?病院では名前を聞きそびれちゃったから。」
 啓はそう呟いた。
 「あぁ?なれなれしく呼び捨ててるんじゃねーよ。俺を誰だと思ってんだ?」
 そんなアンブローズを制して女性が一歩前に出た。
 「驚かせちゃったみたいでごめんなさい。私は長の娘、アデライーデ。この間はありがとう。でも結局救世主様には会えなかったの。留守だったから。」
 啓は自嘲した。驚きはなかった。
 「こちらこそ、すいません。」
 「え?」
 女性がなぜ謝罪されたのかわからずに聞き返す。
 「私が救世主です。私がそれなんです。黙っててごめんなさい。隠すつもりは無かったんですけど。」
 女性が眼を丸くする。アンブローズはなにやら奇声を上げるとその場にしゃがみこんだ。
 「マジ?!それマジ?!お前なの?!お前がなっちゃってるの?!」
 「その通りだよ。私がなっちゃってるんだ。」
 真顔で啓は答える。アデライーデがそっとハンカチで啓の額を拭う。
 「すごい汗…どうかしたんですか?」
 啓は口ごもった。
 「なんでも、ない、です。」
 ―――そう、なんでもないことだ。
 アドは敵を前にしたらあのような表情をするんだろう。今、目の前に居るこのアンブローズも。イリドだってクライドだってきっと同じだ。
 それを恐れるなんて。怖いと思うなんて。
 ―――『人殺し』だと思ったなんて。
 当たり前のことなのに、これはなんなんだろう。私が潔癖すぎるのかな。
 でも、今、目の前に居るこの人には関係のないことだ。個人的な理由でせっかくの夕食を台無しにしたくはない。
 「じゃあ、一緒に行きましょう。もうすぐ夕食が始まります。」
 「はい。」

 アデライーデとアンブローズと共に再び部屋に戻ってくると、そこはすっかり片付いていた。
 「ケイ!」
 スーザンが走り寄って来る。
 「…スーザン、ごめんね、また心配かけちゃったかな?」
 少女は首を振ってぎゅっと啓の袖を握り締めた。
 「ケイ殿、アデライーデとはもう知り合いだったのか。それは良い。ここに座りなさい。」
 イリドとザイザックの隣を指示される。クライドと離れていたので少しほっとした。アドの姿はなかった。

 夕食は賑やかだった。長とクライド、アンブローズのやり取りに皆が笑っていた。スーザンの可愛らしさも場を盛り立てる。啓もザイザックやイリドと会話をした。彼女の顔から笑顔が消えることはなかった。
 その笑顔は自分の病室に帰るまでずっと貼り付いたままだった。



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