[]

ミドリの一族 上(10)




 「クライドー……?」

 アイーダの病室を退室してから、待たせていた二軍隊長を啓は探している。彼の姿は見えないどころか、額の熱による反応も無い。遠くに行ってしまったのだろうか。
 「それとも、トイレかな?」
 きっとそうだ。
 そう結論付けて啓は近くのソファに腰掛けた。しかし待てど暮らせど一向に帰ってくる気配が無い。
 「何してるんだろう…。私、長からお呼びがかかってるんじゃなかったっけ…。」
 こんな所でくつろいでいる場合ではないような気もする。
 「でも、迷子はその場から動くなって言うし。私迷子じゃないけど動くと迷子になるような…。看護婦さんを探して彼を見なかったかどうか聞いてみよう。」
 無難な結論にたどり着き、席を立つと看護師を求めて歩を進める。しばらく歩くと微かに額が熱くなったような気がした。
 「もしや、近いか?」
 体中が焼け焦げるような熱の元を探すのは正直遠慮したいが、そうも言っていられない。
 「こっち…かな?」
 勘を頼りに進むと額の熱が増してくる。どうやら大当たりのようだ。

 「そう、動き回られちゃあ困りまーす。」
 「あら、そんなこと言ったって、父上と母上がご挨拶しておきながら私が挨拶しないなんておかしいじゃない。それに、ちっとも困ってる風には見えないわ。」

 どこかで聞いたことのあるふざけた声と少しの物音でかき消されてしまいそうな儚い声の持ち主の会話が耳に入る。女性は笑っているようだ。

 「ま、別に困らないっちゃー困らないんですけどね。俺、強いし。」
 「ふふ、頼りにしてるわ。…ところで今はどちらにいらっしゃるのかしら?」
 「あー…クライドが一緒に居るはずですけど?イリドに怒鳴られてるんじゃないスか。」
 「まあ、それは大変だわ。イリドは少し…礼儀知らずだもの。救世主様に失礼なことを言っていないと良いのだけれど…」

 ―――救世主様?!
 啓は思わず足を止めた。しかし声はどんどん近づいてくる。額の熱も元気いっぱいにヒートアップしている。次の曲がり角を曲がった通路から聞こえてくるようだ。
 誰だろう?どうして額が熱いんだ?…クライドの声では無いし。
 それに、この声は以前見回り当番をクライドの代わりにしていたヤツの物じゃないか。

 ―――来る。
 近い、近いぞ。

 「あ、そこ右ですよ。」

 通路から1組の男女が姿を現した。そして角を曲がり、啓には目もくれずに背中を向けて遠ざかっていく。
 ―――ちょっと待て!
 探してるのは私だろう?私の病室はそっちじゃない!

 「待って!」

 啓の声に2人が振り返る。女性の豊かな緑の髪が波打った。
 ―――綺麗な人…。
 「どうかしたの?」
 啓が見蕩れていると女性が尋ねてきた。我に返って答える。
 「あのっ、救世主の部屋はそっちじゃない、です。」
 ―――なんで、あたし他人事―?!
 自分に突っ込んだ。
 「あらら、外したか。すいませんね。」
 青年が無責任なことを呟きながら、へらっと笑って謝った。

 ―――紅い、髪…?

 啓はマジマジと奇妙な青年を見つめる。褐色の肌はこの里特有の物だがその髪の色はかなり異質だ。以前として続く額の熱も気になる。
 「相変わらずね、アンブローズ。」
 ―――うへぇっ!アンブロース!
 啓は喉まで込み上げてきた驚きの声を飲み込む。喉が鳴った。
 クライドの分身じゃないか!紛らわしいな!
 「ちょうど良いや。君、案内してよ。救世主の部屋まで。」
 「…はぁ。」
 「はぁ、じゃねーよ。大丈夫かな、この子。」
 お前に言われたくない。

 啓は2人の先に立って歩く。背後では女性とアンブローズが救世主について語り合っていた。
 「どんな方なのかしら…?」
 「女の子って聞きましたよ。カワイイかなぁ。」
 「カワイイよりも強い方が良いんじゃないかしら。」
 「強けりゃどんなんでも良いってもんじゃないでしょー。」
 残念ながら強くも無ければ可愛くもありませんが。
 自嘲気味に啓は笑った。
 「地上の方なのよね。私、地上の方にはあまり出会ったことが無いから緊張するわ。」
 「…はぁ。俺も空間師以外にはあんま会ったこと無いですよ。でもきっと生命力溢れる変わったヤツに決まってら。」
 何せ、バージュラスに刺されて毒に犯されても生きてたんだからすげぇ執念スよね、とアンブローズは何故か爆笑しながら続けた。啓はあまりの熱に朦朧としながらも最後の曲がり角にたどり着いた。なんだかんだ言ってもこの病院はそれなりの広さがあるのだ。
 「次の、角を、左に、曲がった、突き当り、です。」
 気を抜くと呂律が回らなくなる舌を何とか動かして、聞き取りやすいように区切って発音した。英文和訳をしているようだ。
 「ありがとう。」
 女性はやわらかく微笑んだ。
 ―――天使…!
 啓は苦労が報われたような、なんともいえない感動の境地だ。自我崩壊気味と言い換えても良い。
 女性は啓を追い越し、アンブローズと共に啓の病室に向かっていく。
 あぁ、私も行かなくちゃ。私が救世主なんだから。
 ふらふらと前に進んでるつもりが自分は斜めに進んでいるらしい。
 壁にぶつかり、ずるずると座り込んだ。
 ―――これはマズイ。

   「おい。」

 なんだ。

 「大丈夫か?」

 ―――…デジャヴだ。
 ミランダにもこんな感じで話しかけられたな。

 「まったく、どこ行ってんだ。探したぞ。」
 「…クライド?」
 吐き気を堪えて見上げると、意外や意外。心配そうな顔をしている二軍隊長が傍に立っていた。
 「んー…平気。熱いだけだから。」
 「そかー?んじゃ、長のところ行くぞ。」
 「ウム。」
 クライドは啓を置いてけぼりにしてスタスタと進んでいく。
 本当であれば、病室に戻ってアンブローズたちに会うべきなのだろう。でも、そんな元気は無い上に、咄嗟にウソをついているのでカミングアウトするのも今更な気がして、なによりも、面倒だった。
 クライドとの距離が開き、アンブローズ達から離れるにつれて熱は不思議に思うほどあっさりと引いた。啓はほっと一息を付く。
 クライドとだったら一緒に居ても倒れこんだりしないのにな…。
 メシャル、じゃないや、アドだっけ?の時もぶっ倒れたし。分身と本体はやっぱり違うのかな。
 病院を出て面倒な根を掻き分けながら、ぼんやりと考えていた。
 しばらくして、数十メートル先でクライドが立ち止まる。

 「ここだ!」

 真っ直ぐ頭上を指差した。
 ―――なんだ、あの長い「はしご」は。
 あんな長い脚立、地球には存在しないし、登るの怖すぎる。
 「クライドー…これ登るの?」
 「わかってる。きついだろ。」
 啓は頷いた。
 「ジョルジョ!降りて来い!」
 しばらくして頭上の建物の窓からひょっこりと顔を出したのは、「疲れ」という神をその体に光臨させた懐かしい顔だった。何か言っているようだがボソボソ声なので残念ながら全然聞こえない。
 しばらくして聞こえていないことに気付いたのか、両手で大きく丸印を作ると姿が見えなくなった。丸印を作った意味がわからない。
 「はい、こんにちは。」
 「―――わぁっ!お早いお越しで!!」
 次の瞬間ひょろりとした男は啓の隣に立っていた。
  「お久しぶりです、救世主様。その滑り台を滑ってきたんですよ。」
 ジョルジョが目で隣を示す。
 「久しぶり。怪我は大丈夫?」
 「ええ。まぁ動くのに支障ない程度には回復しています。」
 「…ごめんね。私、…」
 「言わないでください、救世主様。私も不意打ちとは言え、足を引っ張ってしまって…こう見えてもとっても落ち込んでいるんです。お互い様ですよ。」
 「お前は常に落ち込んでるだろが。不景気な面しやがって。それより、さっさと上がるぞ。」
 「承知しました。救世主様、失礼します。」
 ジョルジョは上司の暴言を無言で受け流して啓を抱き上げた。大人なのか、単に鈍いのか。地球なら名誉毀損とかで訴えられるような発言だと思うけど。
 みるみる間にジョルジョの腕が震えだした。
 「ご、ごめん、重くて。」
 「いえ、申し訳ありません。筋肉が少し足りないのです。」
 「能力に依存しすぎなんだよ。」
 「便利なものですから、つい…。」
 するすると体が浮かび上がる。
 「へ?浮いてる?」
 「浮いてるのではありません。これが私の能力です。」
 啓が恐る恐る下を見下ろすと地面から先ほどには無かった植物が生え、啓とジョルジョを上へと運んでいる。
 「なるほど。ジョルジョは植物を生み出すことが出来るんだね。」
 「まぁ、そのような物ですね。」
 「コラァッ!ジョルジョ!俺も運べよ!!」
 クライドはものすごい速さではしごを登ってくる。
 「ハハハ、すいません。クライド様。…ザマーミロです。」
 この地味な部下は見た目通り、地味に報復するタイプのようだ。はしごを登ってくるクライドがなんだか滑稽で啓は思わず声を上げて笑った。



 BACK TOP NEXT

[]