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ミドリの一族 上(9)




 「お前、甘い!」
 「あんたは熱い!」
 イリドの部屋を出てからしばらく無言だった二人はクライドの言葉を皮切りに話し出した。
 「熱いってなぁ…仕方ないだろ。」
 二人の間の距離は3メートルほどだろうか。額は焼けるように熱かったが気にしないように努めた。それでも自然と眉間に皺が寄ってしまう。啓は何気ない仕草でその皺を伸ばした。
 このままでは頑固一徹親父のように皺が刻み込まれてしまう。
 「…ありがとう、ね。」
 啓は素直にお礼の言葉を口にした。クライドは一瞬、面食らったように立ち止まり、荒っぽく頭を掻く。
 「…別に、良いけどよ。」
 「それにしても、クライド、やたら詳しかったね。私とイリド達がバージュラスに会った時のこととか。」
 「あぁ、ジョルジョに聞いたんだ。あいつ、俺の部下だからな。」
 「イリドの部下なのかと思ってた。」
 啓は始終困ったような、疲れたような、胃潰瘍なんじゃないかと疑いたくなるような表情の男を脳裏に浮かべた。
 「ジョルジョの一族の特殊能力が必要だから貸してくれって言われてな。その理由を聞いて長がお前を連れて来ようとしてることを知ったんだよ。だから前もって根回ししてわざわざ地図渡させたのに、まさか見方を知らね―とはな。全く予想外。」
 「渡させたって…?」
 「俺はメシャルだからな。特殊能力が備わってる。それは聞いたか?」
 「ザイザックサンから、少し。」
 「そうか。で、俺はその能力のお陰で7人に分身することができる。」
 「……は?」
 「分身って言っても完全に実体として分かれるんだ。それぞれに人格もあるしな。まるで別人だ。趣味も違うし。お前が会ったメシャルはその中の一人だよ。ティッシだったら管轄はアドだな。」
 「アド?」
 「全員クライドって呼んでたら紛らわしいだろ。だから一人一人に名前付けられたんだよ。デジレにな。ティッシの俺はアドリアーノだ。他にはアンブローズとかミッキー、ヴィルジ―ル、とか、これはこれでややこしいんだけどな。」
 「アドリア―ノ……かぁ。」
 ずっとメシャルと呼んでいたためか、しっくりとこない。
 「ずーっとパジャマ着てるヤツな。俺が恥ずかしくなるぜ。もうちょっと服装なんとかなんねーのかなぁ…。」
 ―――やっぱりパジャマだったんだ!!
 彼女の心の中にあったアドの像がガラガラと崩れていくような気がした。
 「あいつ、面倒くさがりだからなー…。」
 クライドは隣で啓が呆然としているのにも気付かずに呟いた。啓はふと浮かんだ疑問を口にする。
 「クライドはどうしてティッシにアドを送ってるの?」
 「ティッシだけじゃねーよ。トリジュの近くにある町とか村には一人必ず俺の分身が居る。バージュラスに襲われたりした時のためにな。念には念をってやつだ。っつってもこの付近に5つしか町村が無いから今俺の中にはまだもう一人居るんだけどな。」
 「誰が?」
 「…アンブローズだ。」
 答えた後クライドは少し苦々しそうな顔をした。
 「ふーん。」
 「アドに頼んで地図渡させてさ、里の近くを通らねーようにしたと思ってたら、来てるしよー。」
 「え?じゃあ、私を戦争地帯から遠ざけようとしてくれたってこと?」
 「あったりまえだろー。わかってて戦争に近づけようとするヤツが居るか?危険だろーが。」
 「…なんだ、悪い人じゃなかったんだね。」
 「今ごろ気付いたのかよ。」
 はは、とクライドは笑って突き当たりの病室を指差した。
 「あれがアイーダの病室だ。行ってこいよ。俺はここで待ってる。お前も熱いだろうからな。で、それが終わったら長の所行くぞ。呼び出しかかってるからな。」
 「そっか。わかった、ありがとう。行ってくる。」

 □□□

 啓が扉の取っ手に手をかけると中から激しい泣き声が聞こえた。
 『ご無事で何よりっ…アイ―…ダ、様ぁ。』
 どうやら中に護衛のクモ達が居るようだ。啓はしっかりとノックをした。
 「アイーダ、啓です。」
 一瞬扉の向こうが静かになる。それからアイーダの柔らかい声が響いた。
 『お入り。』
 少し扉を開いて、啓は滑り込むようにして中に入った。顔を上げると予想以上に近くにアイーダの姿があった。蜘蛛の女王は人の姿を保ちながら、そのしなやかな手でそっと啓の頬に触れる。女王の紫がかった瞳と目が合った。
 『叩かれたのかい?赤くなっているね。』
 「…自業自得だから。」
 『イリドだね。まったく、困った隊長様だ。』
 「イリドは、悪くないよ。」
 『…そりゃあ、そうだけどねぇ。』
 アイーダは肩をすくめて啓の頬から手を離した。
 啓が改めて室内を見回すと予想以上にたくさんの人の姿をしたクモ達が居た。20人は居そうである。
 『アンタだって、悪くないのにね。』
 女王の離れた手が今度は優しく啓の頭を撫でた。啓は困ったように微笑む。
 ―――自分が、悪いのだ。
 その思いが啓の中に住み着いている。
 「アイーダ、私、謝りに来たの。」
 『そうかい。』
 そっけない返事だった。しかし優しげな瞳が啓を見つめる。

 謝るのは卑怯なときもある。
 謝ったってどうしようもないことがこの世の中には確実に存在するわけで、今回は正にそれであった。それでも謝るのは自分の心の中にあるわだかまりを何とかしたいから。いつまでも燻っているどうにもならないこのもやもやを何とかしたいから。
 ―――あんたは自分のことしか考えてない!
 イリドの言葉がまだ木霊している。
 その、通りだ。その通りなんだ。
 私は、自分のことしか考えていなかった。
 世界のために、というのは名目で、結局自分が元の世界に戻りたいだけだったんだ。
 だから、よく考えもせずに今まで行き当たりばったりでやってきた。
 何かしていないと不安だった。空白の時が訪れると地球のことを思い出すから。
 なんだかんだ強がりを言ってても、それでも帰りたかったんだ。
 今すぐにでも帰りたかったんだ。また、元の生活に戻りたかったんだ。

 でも、やっと目が覚めたよ。
 やっとわかったよ。

 “私は今を楽しむ派じゃなくて、先のことまで良く考えて今を生きる派なの。”

 そう言ったのは私だ。

 “先のことまでよく考えて”

 言った本人が実行しないでどうする。
 まだ、きちんと理解できてないのかもしれないけど、それでも以前の私とは違うんだ。前は全然自覚が足りなかった。でも今は違う。
 わかってほしい。伝われば良い。
 ―――許して欲しい。

 「ごめんなさい…。」
 『わらわ達は救世主がこうして謝ってくれただけで充分だよ。』
 アイーダが優しく啓を抱きしめる。独特の香りが啓の鼻をくすぐった。
 『…その代わり、散っていったあの子達が誇れるような、この人のために自分は戦った、と思えるような救世主にお成り。どうしても償いたいと言うのなら態度でお示し。それが一番の償いになる。』
 「はい。」
 『たとえ戦うことができなくても心だけは強く持たないといけないよ。いいね。』

 啓はしっかりと顔を上げた。そして、深く頷き、誓った。
 もう、逃げたりしない。



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