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―――そんなバカな。
啓は外に居るニ軍隊長という知らないはずの男と見詰め合っている。
お互いにぴくりとも動かない。
「おや、知っているのですか?」
驚いたようにザイザックが尋ねた。啓はクライドから目をそらさずに頷く。
「あの人は本当に二軍隊長とかいう人なんですか?メシャルじゃないですか?」
ザイザックが啓の問いに少し目を細める。
「彼はこのトリジュノ里の直属軍ニ軍隊長クライドに間違いない。…まぁ、『メシャル』と呼ばれないことも無いが…。」
「それはどういう意味ですか?…あの人は私が肌の色は違うけどティッシで一緒にいたメシャルに間違いない。」
「あのね、『メシャル』って言うのは通り名なんだよー。『シャルに愛された子』っていう意味なの。」
スーザンののんびりした答えが返ってくる。
―――シャルに愛された子…?
「…トリジュの者の中には稀に精霊に愛された子が誕生する。」
きょとんとしている啓に心底面倒だ、という顔をしてザイザックが説明を始める。
「イリドもそうだよー。」
得意顔でスーザンがガッツポーズをした。
「イリドもそうですな。彼女はブラックデザイラの加護を受けている。非常に毒性が強く、珍しい植物だ。加護を受けた者はその植物の特性を活かした特殊能力を持っている。イリドの場合は他者の毒を取り込んで自分の体内で浄化する。毒をもって毒を制す、限度はあるようだがな。」
「うん。スーザン知ってるよ。今回もイリド能力使ったもん。それで、シュバルツは怒った。」
―――毒をもって毒を制す…。
今回も使ったってそれは私達の毒を取り込んだということじゃないか!
ザッと一気に冷や汗が噴出した。
「ザイザックさん、それは、イリドが私達を…」
「いかにも。お陰で彼女は生死を彷徨うことになりましたが、一命を取り留めたようです。・・・今回は仕方ありません。」
ちらりと啓の様子をうかがったザイザックは取ってつけたように続けた。
「救世主殿が気に病むことは無い。彼女は直属軍の隊長なのですからな。」
「…。」
―――気にしないで良いわけないだろう!
新たにもたらされた情報に罪悪感がつのる。啓の体がカタカタと小刻みに震えた。スーザンが彼女の震えに気付き、再び啓の体を横たえてその頭をそっと撫でた。
「ケイが悪いんじゃないよ。」
啓は首を振る。彼女の頬をまた涙が一筋流れ落ちた。
「あたしは…どうしようもないバカだ…っ」
「ケーイー、泣かないで。大丈夫、イリドも他の皆も生きてるよ。」
啓は半分以上年下に見える少女に頬の涙を拭ってもらった。
「ケイは守ってもらった命を大切にしなきゃ。それがケイの今しなくちゃいけない仕事だよ。早く元気にならなくちゃ。泣くのはその後でもできるよ。」
「…そうだな。ごめん、ザイザックさんも話の途中で…」
「いえ、構いませんよ。」
ザイザックはしかめっ面のまま答えた。どうやら笑みを作ろうとしているらしい。またその口元が引きつっている。
「では話を戻しますが、イリドのように特殊能力を備えた者は本名以外に通り名のような物が与えられる。その通り名でシャルに愛された者を『メシャル』と呼んでいるのです。」
「イリドは『メイラ』って言うんだよ!」
ニコニコと笑ってスーザンが補足した。
「シャルは非常に珍しい。ブラックデザイラとは桁が違います。ブラックデザイラは数年探し回れば見つかるでしょうが、シャルはそうもいかない。とても美しい花で七枚の花びら全ての色、形が違い、その花びら一枚一枚に違う効能があるといわれている。万能薬になるとも。その花に愛される者など、もっと少ない。・・・今現在、一人しかいない。」
「じゃあ、私がティッシで会ったのは…」
「それはありえません。」
その二軍隊長じゃないのか、という言葉が途中でさえぎられ、思い切り否定された。
「なぜなら、彼はここ数年この里を一歩も出ていない。会ったとしたらクライドの…」
大きな音をたてて部屋の扉が開き、ザイザックの声が途切れた。啓は額の熱に歯を食いしばった。
「クライドー!」
スーザンが突然乱入してきた男に駆け寄る。足元に抱きついて頬を摺り寄せた。子猫のようだ。
「スーザン、久しぶりだな。里の中でも全然会わねーし。」
「久しぶり!スーザン元気!良い子にしてたよ!」
尋ねる前に全て答えて、可愛らしい少女はにっこりと笑った。二軍の隊長はその頭を撫でて、啓とザイザックに向かい合う。
「ザイザックじゃねぇか。お前、デジレのお守りはどうしたよ?」
「この世界で長のことをそんな風に言うのは貴様だけだぞ。失礼にもほどがある。」
「良いだろ、どうせ同じ歳なんだしさ。学び舎の同級生だぜ?」
「そういう問題ではないだろう。我々は長の部下なんだぞ。」
ザイザックの言葉にクライドは肩を竦める。
「あ、俺そういう堅苦しいの大嫌いなんだよな。ついでに堅物のお前も大嫌い。」
「私だってお前を見ずに済むのなら金輪際見たくない。」
―――なにやら不穏な空気が流れているような…。
啓は熱に叫びたいのを堪え、更に見覚えのある顔の青年から飛び出す言葉に動揺しつつ、その青年とザイザックの仲の悪さに閉口した。
「そりゃ、ちょうど良い。とっとと消えろよ。」
「残念ながらそれはできん。今は救世主のお守りを申し付けられている。」
「それは俺がやってやるよ。お前泣かしてるじゃん。お守り、失格!だからさ、消えろって。」
「そんな無責任なことができるか!第一、貴様見回りはどうした?!」
「他のヤツにやらせるからさぁ。とにかく消えてくれよー。お前の顔を見てるとマジ、イライライライラしてくるんだって。」
「貴様が勝手に来たんだろうが!」
「うるせぇなぁ…。」
呟いたかと思うと褐色の肌を持つ青年はおもむろに腰に刺していた剣を抜いた。啓は仰天した。目の前の青年が彼女の知っている『メシャル』とはかけ離れていたせいもある。だが何よりもこの病室で、スーザンも居るというのに、つまらない喧嘩が発端の殺し合いが始まるのではないかと危惧した。
同時にこの世界に来てからまだ一週間ほどしか経っていないというのに、剣が出てきてもある程度冷静に思考することができるほど適応している自分が少し悲しくなった啓だった。
「消えろといったら消えろー!」
「…バカがっ!」
剣を振り上げたクライドに対して一言叱責を残し、ザイザックはすっとその場からかき消えた。残された啓は目を白黒させるばかりである。
「…え?ザイザックさん?…えぇ?本当に消えちゃったの?そんな結局無責任…。」
金属の音がしてハッとクライドの方を見ると彼は剣を鞘に戻した所だった。スーザンが無邪気に「ハイ、クライドの勝ちー。」などと言っている。
「さっさと消えりゃあ良いのによ。…っと、スーザンお前はシュバルツの手伝いでもしに行っとけよ。こっからは大人の話だからな。」
「…大人の話?」
熱いからお前が消えろ、と言いたいのをぐっと我慢して啓は聞き返した。
「ふーん…じゃあスーザンが大人になったら聞かせてね。」
「おー。」
「ケイ、お大事に!また後で遊びに来るから!」
「え?ちょっと待って、スーザン…」
扉を閉めつつ、スーザンは啓に向かってパチリ、と可愛くウィンクを決めた。引きとめようとした啓の腕が虚しく宙を彷徨った。
「でさー。」
「はい。」
「なんでここに居るわけ?」
単刀直入な質問である。
「ティッシの村を出て山に入って切り株がイリドさんなって…連行されて。あとバージュラスとかにも襲われたり。なんだかんだありました。」
テキトーな答え方である。しかし彼にはそれで良かったらしい。
「地図は?」
「荷物の中にあります。」
彼は啓のベッドの傍にあった鞄から地図を取り出した。じっくりと眺めている。そして急に啓の横に腰掛け、横になっていた彼女を起こして地図を見せた。額の熱が容赦なく啓を襲う。
「は…離れろ。」
「どの道を通って来た?」
無視かよ!
「うるさい…離れろって言ってるだろ。」
「…はぁ?」
まるでチンピラのようである。普段の啓だったらまずお近づきになりたくないタイプだ。
「熱い…熱い、熱い…」
「?」
真横に腰掛け、啓の体を支えているニ軍隊長は怪訝そうな顔をする。しかし、何かに気付いたように「…あぁ、悪ぃ。忘れてたわ。」と呟くと、パッと啓から手を離し、部屋の隅まで移動した。 自分で自分を支えられない啓はベッドに倒れこむ。
しかし、少し和らいだ熱に安心して深く深呼吸をした。
「不便なこったな。この距離で会話かよ。」
「……。」
「おーい、生きてっかー?」
「お陰さまで。」
「なんなら外から話してやっても良いぞ。」
「あぁ、その方が楽かもしれませんね。」
「そうか。…よし、わかった。」
青年は立ち上がると、窓を開ける。
「あの…何を…?」
「何って、外に出るんだよ。」
窓枠に足を掛けると青年は「あらよっ」と言うかけ声と共に飛び降りた。
「…はい?」
残された啓は呆然と揺れるカーテンを眺めて自問する。
―――死んだか?結構ここ高かったし。
「おーい!聞こえるかぁー?」
「死ぬわけ無いよね。馬鹿は死なないって言うもん。ハハ、…言わねーよ。」
一人ツッコミをしてどうしようかと頭を抱える。幸い、体は先程よりは動く。声は元通り出せると思う。
「おい!答えろよ!」
きっとあの隊長は善意で外に出てくれたのだ。自分が考え無しに返事をしたのがバカだったんだ。
もう、どうでも良いや。
「聞こえてる!」
啓はベッドに寝たまま腹に力をこめて怒鳴り返した。
「よし!じゃあ、話すぞ!」
「ドンと来い!」
「テメー、地図持ってるな?どの道通ってきたんだ?!」
「真ん中!」
考えているのか少し間があいた。
「なんで真ん中なんだよ!」
しばらくして鋭く突っ込まれる。
「よく考えてみたら、あたし、地図苦手だった!東西南北もわかんなかったし!だから分かれ道で棒を倒した!その棒が真ん中だって教えてくれたの!」
啓は一人でニコッと笑った。外に居るクライドもニコリと笑った。
「バッカじゃねーのか!バーカ!お前、マジでありえねぇ!」
「だって仕方ないじゃない!誰も教えてくれなかったんだから!」
「聞かなかったからだろ!普通はそんな常識知ってるんだよ!これじゃ、意味ねーだろ!」
「意味無いって、何がよ!」
「人の善意を無駄にしやがって!!バカヤロー!!」
意味がわからない。
啓は小さく舌打ちした。それから大事なことを聞いていなかったと気付き、再び声を張り上げる。
「あんたメシャルなの?!」
「そうだ!」
間髪居れず返事が返ってくる。
嘘だ!信じない!信じないぞ!
メシャルはあんなに乱暴じゃないし、こんなに偉そうじゃないし、口調ももっと優しいし、肌の色も緑だし、とにかく全てが違う!
「…なんだこの間は!!お前、信じてねぇな?!俺は正真正銘『メシャル』だ!お前のデコもそう言ってるだろーが!」
「クライドって言われてたじゃない!なんで偽名を使ったのよ?!」
「……は?!偽名なんか使ってねーよ!メシャル、ってのも俺の名前だぜ?!通り名だけどな!」
怒鳴りあっていると全ての言葉が投げやりに聞こえるのはどうしてだろう、と啓は心の片隅で思った。
「そういうのは名前とは言わないんだ!あだ名だよ!」
絶対信じない。確かに肌の色を覗けば顔はそっくり同じだ。ただし、表情は全く違うな。
メシャルはもっと優しい表情でいつもニコニコしてて、ちょっと何考えてるのか分からない時もあったけど、今のコイツより100倍はマシだった!
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